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PNMJ かしわで

汁の店を手伝うようになり、2年目の夏が来た。

俺のジュースは、駆け出しのままだが、

じいちゃんの留守に来たお客さんが

「りょうたので全然構わないよ!」なんて

気軽に当たり前のように言ってくれることが

増えた。

そのことに、俺自身、励まされ自信もつけていた。

ただただ一つ。

あのオーダーには答えられない。

やっとカタチになりつつある自信は、そのオーダーの前に完膚なきまでに打ち砕かれる。

知る人ぞ知る、汁の裏メニュー。

柏手(かしわで)だ。

常連さんにしか出ない。

常連さんだとしても、オーダーが通るかは

じいちゃんとの交渉次第。

人生のここぞの時。

飲みたいと飲ませたいの気持ちが合致しなければ
作られない。

大事な試験。

プロポーズの前。

出産の立ち会い。

会社を興す日。

いろいろな柏手を見た。

どの時も、忘れられない。

ただのジュースが、人をあれほどまでに希望で
包むことに身体がふるえた。

じいちゃんは、まじないだと言う。

じいちゃんが作ったジュースの上で柏手をうつ。

それを飲んだ人は、人生の岐路に挑む。

柏手を飲んだら、全てうまくいく?

訳はない。

じいちゃんの両手パチンにそんな力はない。

しかし、多くの人がありがとうを言いにくる。

じいちゃんの柏手を飲んで、向き合うその課題に

挑むその時に腹から導かれるような力が湧くのだそうだ。


結果が伴わなくてもさ、道がみえるんだよな。


そう言ったのは大輔さんだ。

大輔さんは、どうしても合格したい会社の試験日に、じいちゃんの柏手を飲んで挑んだ。

不採用がわかった日。大輔さんは店に顔を出して、

「甚さん、ありがとう。俺、ダメだったよ」と
じいちゃんに報告した。

「そうか。足りなかったか。俺もまだまだだな。
大輔、悪かったな。」

「甚さん、柏手飲んでさ、ダメってことはだよ、
俺が届かなかったんだよ。飲まねえで受けてたら
柏手のせいにするとこだった。
甚さんが飲ませねぇからだーってさ、店の前で
わんわん泣いてさ、迷惑行為で取締られたわ。」と笑った。

「大輔、どうすんだ?」

「今の俺の力で選んでくれた会社に行くよ。
俺が選ぶことと同じくらい、俺を選んでくれた場所を大事にしてもいいよな?甚さん。」

「あたりめえだよ。お前は本当に賢いよ。
いい心意気だ。選ばれる、呼ばれるってことは
縁だからな。大輔、胸張って行けよ。」

大輔さんは、今。

毎日、おはようと小銭とオーダーをいっぺんに俺に渡して、俺からジュースといってらっしゃいを受け取り、笑顔の余韻を纏い改札に向かう。

柏手は、俺の代になればなくなるメニューだ。

そのことが居た堪れない。

しかし、ある日。

俺が柏手に挑む理由があちらから歩いてきた。

つむぎさんだ。

つむぎさんは、大学生の頃から汁に通っていたそうで、会社勤めをする時に汁に寄れることを第一条件に就活をした変わり者だ。

出勤時、必ず店をのぞいてくれて挨拶をする。

ただ、つむぎさんがオーダーするのは月曜日のみ。

お金と気合いの節約だと言う。

どちらも出し過ぎは良くないそうだ。

あとね、依存しすぎは良くない。汁はね、
麻薬と遠い親戚だし、ご利用は計画的にね。

そんな物騒な例えをサラリと言ってふわりと微笑む。

つむぎさんは、大抵の場合近いを飲んだ。

ゆっくり、身体に染み込ませていく。

あー、身体が喜んでいるなあ。と表情を崩す。

飲み終わり、ほにゃらあと笑うつむぎさんを見ると、俺もじいちゃんも2人でほにゃらあとなる

にやける男2人の前に空のグラスを置くと、

必ず手を合わせ、大きな声で

本日もご馳走様でした。行ってきます。と

挨拶をして、頭を下げ、そして手を振る。

正直で清々しい人だ。

つむぎさんは、俺とじいちゃんの月曜日だ。

そのつむぎさんが、金曜日の仕事帰りに

店の前で足を止めた。

表情は固く、笑ってもうまくいかないみたいだった。

胸騒ぎは耳を塞いでも、目を閉じても収まらない。

「甚平さん。近いに柏手でお願いしてもいいかな?」

負けられない闘いをすることに決めたの。

必勝祈願、お願いします。

つむぎさんの声は、まっすぐで細くて、でもじいちゃんの心に脇目も振らずに飛び込んでいった。

じいちゃんは、ただつむぎさんを見つめて

「柏手の近いだな。つむぎ待ってろ」

と答えた。

いつも通りの近い。グラスに注がれたジュース。
じいちゃんは、静かに息を整えて、一回。
両手を合わせて、音を奏でた。

じいちゃんが鳴らした音で、ジュースの表面が揺らぎ、確かに何かが反応したような気がした。

つむぎさんは、いつものように丁寧にゆっくり
近いを自分のものとして、染み渡らせていた。

飲み終わると、きりりとした。

「私ね、手術をすることになったのよ。
私は病気と割と仲良くやってきたんだけど、もうさよならの時期みたい。
病気と別れてね、新しい自分になる戦いに負けたくないの。甚さん、これ柏手案件よね?」

つむぎさんは、そう聞いた。
そしていつもみたいに、顔をクシュっと崩して
笑った。

じいちゃんも笑った。

「ああ、そりゃ柏手案件だ。間違いない。
つむぎ、待ってるから。ここはな、お前の店でもある。つむぎ、勝て。俺はな勝てるやつにしか
言わねえぞ。それで、新しいお前を俺にみせてくれよ。楽しみしかねえな。」

つむぎさんは、頷き、潤んだ瞳から涙はこぼさずに俺を見た。

「次は、りょうたの柏手を飲むんだ。新しい私の門出には、りょうたの柏手、頼むよ」

そう言った。

俺は驚いたが、怯まなかった。

「つむぎさん、俺、柏手習得するから。必ず。
絶対に飲みにきてよ。じいちゃんのより、うまいかもよ。」

きりりとした顔がほにゃらあと崩れた。

「言うねー、りょうた!約束だよ!」

本日もご馳走様でした。行ってきます。

金曜日の夕暮れに、月曜日の決意の声が響く。

気をつけて!いってらっしゃい!

はじまりのファンファーレは突然鳴り響く。

だってほら、はじまりはいつだって

突然で特別で周りは関係ないからね。

#れおさん
#くまさん
#かなでさん
#6話

お気持ちありがたく頂戴するタイプです。簡単に嬉しくなって調子に乗って頑張るタイプです。お金は大切にするタイプです。