その車窓からみえるもの
出会ってまもない頃、かなこさんがどうして私のnoteを読んでくれるのか、私にはさっぱりわからなかった。
聡明で博識で、力強い。
アスリートで、お料理上手で豊かな感性をお持ちだ。
かなこさんと私は、住む世界も生きてきた背景も重ならない。
今もずっとそう思っているし、かなこさんが私のnoteを読み続けていてくれることはやっぱり奇跡みたいだなと思う。
かなこさんのnoteにスキを押すと、お風呂に入っているセクシーかなこさんとか、旦那様ノブリンさんとのドラマみたいな抱擁の写真がぽよんと飛び出す。
私は元々、色っぽい方面の赤裸々が苦手なので(他のことは赤裸々のくせに)大抵は、「わお!」と腰が引けて気持ちが遠く離れてしまう。
かなこさんだと、「まあ、かなこさんならOK!」と許容してしまう。だってかなこさんだし。自分にする言い訳にしても随分と大雑把なことは自覚している。
好きってそういうことだ。理屈や道理は通用しないのだ。
そんな風に、「どうして私なんかの…?」という多少傾げた思いを抱いている私に、かなこさんが話してくれたことがある。
noteではね、気楽なエッセイが読みたいの。誰かの日常を軽快に書いているものを楽しく読みたいの。小説は本屋に並ぶ作家の作品でいくらでも読めるでしょ?
ああ、そうなんだ!私も同じです!私も誰かの日常をユーモアや温かさでコーティングした、人柄の透けて見える市井のひとのエッセイが大好きです。とそう思った。かなこさんにそれを伝えたかどうかは定かではない。
ただ、そのやりとりを機にかなこさんのふとした時間に、私の日常が文章に形を変えて紛れ込むことを、もう烏滸がましいとは思わなくなった。
かなこさんの選択に、私が恐縮するなんてそれこそ烏滸がましい。
私は、私のいのちを走らせて見える車窓の景色を、かなこさんに「ほら、かなこさん!こんなの見えたよ!」という気持ちでnoteを書いている。
かなこさんは、決して比較しない。評価もしない。ただ、私の文章でシェアした景色を、いいね!おだんごさん!と楽しんでくれる。
私には、かなこさんと同じようなスタンスで、私の文章を楽しんでくださる仲間がそれはそれはたくさんいて(自慢に聞こえますか?真実です)だから、ここで書いて生きている。
星野源という人を初めて知ったのは、11人もいるというドラマだ。
星野源という人をいいなと思ったのは、箱入り息子の恋という映画だ。
星野源という人を羨ましいなと思ったのは、エッセイだった。今まで出版されているものの全てとは言い切れないが、星野源と刻まれた背表紙は私の本棚に仲良く並んでいる。
俳優、歌手、文筆業。時に欲張りだと言われたり、どこに行っても自分の居場所ではない疎外感に苛まれていた彼の鬱屈は、時間を重ねる中でゆっくりと作品という名前のもとに発酵していく。
自分の表現を精一杯やりたいという信念を、穿った目で見られることを存分に味わった人だ。
不器用だからそうしているのに、好きなことに正直なだけなのに、彼が称賛されて認知されるまでには、随分と遠回りで、でもだからこそ彼は今こんなにも愛され、敬われ、追いかけられている。
だから、好きだなと思う。私も彼の表現が好きなのだと思う。
いのちの車窓から
タイトルから素晴らしい。奇を衒いすぎず、それでいて新鮮で懐かしい。
どこかですれ違っているはずだけどな。という言葉の体温は親近感を滲ませている。
ちなみに今回は、同タイトルの2冊目となる。
1冊目の装丁も内容も、よい。肩の力を抜いて、よっ!と隣にいるような、ほら、ね?と
視線を合わせられるような、彼の誠実な人柄がにじんでいる文章が並ぶ。
新垣結衣という章がある。後に妻となる女性がただの共演者であった時に書かれたものだ。
私にとって、この2人、一緒に生きてほしいなと思ってしまう文章だった。だから私は2人の結婚が心の底から嬉しかったのを覚えている。
今回の「いのちの車窓から 2」には、新型コロナ感染症対策の外出自粛期間の頃や、恩人との別れ、日々の仕事、結婚生活のことが綴られている。
私が最も、心に残ったのは 食卓という章だ。
ずっと困惑してきた自分自身の衝動について、人とは分かり合えないと思っていた自身について、彼が食卓で妻に打ち明けるシーンが描かれている。
私は泣いていた。
いつだって人は自分自身が作った檻が1番手強い。
彼がその檻から羽ばたく様は、あまりに軽快で滑稽でもあり、だからこそ美しく温かいと感じた。
人が人と生きるその素晴らしさを、手渡されるようなエッセイだった。
星野源という人は、どこまでも実直だ。
卑猥で混濁していて、弱くて、それでいて頑固で諦めることが下手くそに見える。
ただ、自分にも自分の愛する人にも誠実でありたいと生きている人だ。
そんな人の命が、しゅぽぽと走りゆく様を目で追い、その命から見える景色を見せてほしいというひとが、例えば5万人いるのも10万人いるのも納得である。
そして、そんな風に愛され支持されてもなお、生きるのはつらいと教えてくれる。
満員のアリーナの大歓声や、映画の大盛況も。
成功が幸せではないことを教えてくれる。
それを贅沢だと片付けるなら、別の命の車窓をのぞけば良い。
ただ私は、星野源の車窓から見えるものをこれからも読みたいと思う。
かなこさんのnoteを読みたいのと一緒だ。
私は市井の人のエッセイが好きなのではなかったのだ。
誰かの日常をユーモアや温かさでコーティングした、人柄の透けて見える、生き方に心が動かされるエッセイが好きなのだ。有名無名など関係ない。
かなこさん、私に素敵な本の時間をありがとう。
私が私と向き合う時間をありがとう。
私の車窓から見える、星野源は存外かっこいいでしょう?
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