ここで暮らしたい

 私は東京で生まれ育った。
両親の実家もそれぞれ都内にあったので、子供の頃長い休みじゅうを自然の中で過ごすという習慣はなかったが、田舎を持つ友人をさして羨ましいとも思わなかった。

ましてや遊びたい盛りの20歳前後ときたら、ちょうどバブル全盛期とも重なって、都心に暮らせる自分はなんて幸せ者だろうと本気で 思っていた。

 それがどうしたことか、40歳を過ぎたころから突然田舎暮らしがしたいと思うようになった。主人に相談すると、ちょうど仕事に煮詰まっていた時期ということもあり、「田舎に移住するという選択もありかな」と。

思い立ったら一直線な私、その頃から用事のない週末は移住先探しに明け暮れた。

一人暮らしの母を置いていくのが心配で、東京まで2時間圏内という条件はあったものの、最初の頃は海辺の町や山の麓をあてどもなくさまよった。

そのうちに空気が良くて山の景色がきれいに見える場所に的を絞っていったが、東京近郊では地価が高くて手が出ないのと、どこを見てもどうも感覚的にピンとこない。

ネットサーフィンで「伊那を過ぎると空気が急に澄んでくる」「駒ヶ根からの山の眺めが素晴らしい」という情報を得て、いつもうろうろしている中央道のもう少し先まで足を運ぶことにした。

初めて訪れた駒ヶ根はネット情報通りに山の眺めが素晴らしく、体中の細胞が喜ぶのが分かるほど空気がおいしかった。

ついでに物件をいくつか見ていこうと、前もってアポをとっていた不動産屋さんは、駒ヶ根の隣の飯島町に事務所を構えており、飯島の物件しか用意がないという。仕方なく中古物件を何軒か案内してもらい、彼らと別れて飯島町を車で走っていくと、小高い丘の上に出た。

その時の感動をなんと言い表したら良いだろうか。目の前には中央アルプスがそびえたち、後方には南アルプスが連なっていた。

季節は7月で、あたり一面の田んぼには緑の稲が生えそろい、風が吹くたび幼い稲穂はさらさらと波のように揺れていた。どこまでも広がる真っ青な空には雲が細く流れていた。

ふと口をついて出た言葉が「ここで暮らしたい」それが飯島町との運命の出会いだった。

飯島との出会いまでに3年、物件を探し当てるまでに2年、その数年後、29年間勤めた会社を退職し、次男とともに飯島に移り住んだ。当時未就学児だった次男は小学5年生になっていた。大学生の長男と、結局夫も東京に残った。

人生を見つめなおす時期は50歳前後という話はよく聞くが、私も例にもれず50歳で生き方をリセットすることになった。

澄んだ空気やきれいな水や新鮮な野菜を摂取したい、壮大な景色を眺めながら暮らしたいと思うのは人間本来の欲求であり、より動物に近かった祖先のDNAが私の本能を呼び覚ましたのかもしれない、そんな風に感じている。

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