父の日に想う
ラジオやスーパーマーケットなどで、耳や目から入ってくる「父の日」情報。
今年はとうとう贈り物をする相手がいなくなってしまったと、何とも心もとない気持ちになった。
7年前に、長年住み慣れた東京に母を一人残して、長野県の田舎町に移住した。
夫はどうせ田舎暮らしをするなら、郷里の日向市に帰りたいという気持ちが強かったようだ。
東京にいるならまだしも、縁もゆかりもない土地への移住を私が半ば強引に押し切ったことが、義父には理解できなかったようで、会うたびにチクリと言われたものだ。
短気で歯に衣着せぬ物言いをする人だったから、嫌味を言われたように私が感じただけだったのかもしれない。
そして、会うたびにと言っても、田舎暮らしの忙しさとアクセスの悪さを言い訳にして、移住後に帰省したのは片手で数えられる程度だった。
脳腫瘍がてきて入院した義父を見舞うことも叶わず、息を引き取ったあとにお別れしたのが5月のこと。
全く持って長男の嫁失格、それしか言いようがない。
夫と20代半ばに結婚して、父の日には何かしらの贈り物をしてきた。
何を贈っても大して喜んでもらえないので、晩年はもっぱら気持ちばかりのお金に手紙を添えて送っていたが、結婚して間もないころに一度だけ、義父からお礼の電話をもらったことがあった。
その時送った物は、義父の新車に彩をと考えて選んだ、皮の手袋と傘を入れるケースだった。
義父の嬉しそうに弾んだ声を、私は生涯忘れることはないだろう。
16年前に私が父を亡くした後に会った時、「お前の父親はもうたった一人ぞ。俺しかおらんとよ」と言っていた義父。
あの時は分からなかったけれど、「大丈夫。お前には俺がいるよ、一人じゃないよ」
照れ屋の義父が精一杯の優しさを込めてくれた言葉だったのだと、今になってしみじみ想う。
生前義父は息子が戻って来てくれることを、心のどこかでずっと願っていたに違いない。
「お義父さんごめんなさい、自分勝手な嫁でごめんなさい」
心の中の義父に詫びて、空を仰いだ。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?