BUMP OF CHICKEN『supernova』(2005年)
バンプオブチキンとの出会いは、もうかれこれ15年前くらいになります。悩みや痛みを感じるとき、横でそっと一緒に歩いてくれているような、自分の感情と向き合うことを促してくれているような歌詞に、どれだけ力をもらってきたことでしょう。
さて、今回は『supernova』回です。
supernovaとは
「supernova」は、「超新星爆発」を意味する天文学用語です。自ら光を発しているガス体の天体=恒星がその寿命を終える時に大爆発を起こし、まるで新しい星が突然誕生したかのように見える現象です。爆発後は、大きなエネルギーを放出し、しばらく発光し続けながら最期を遂げます。
ラテン語で新星を意味する「nova」に由来しており、新星の100万倍以上もの明るさとなるため「超」という意味のsuperが付けられたそう。
記録に残っている最古のsupernovaは、なんと西暦185年!中国の後漢書に記されています。現在は100年~200年に一度の割合で発生しているそうです。
BUMP・藤原さんの思い
そんなsupernovaですが、地球から観測される爆発の光は、何万光年、何億光年と離れた位置で起こっています。つまり、私たちが爆発の光を目にするときには、既にその星は消滅しているのです。
藤原さんは「見えているものが既にない」「いなくなった後に気付くこと」に対して強い思い入れを持っていて、「そういうものに気付いていきたいんだっていう切ない気持ちが、本当にちっちゃい頃からあります。」と語っています。
楽曲としてはゴスペルを意識して作られたそう。サビにあたる「ラララ」の大合唱を聴きながら、何となくQUEENの『Somebody To Love』を想起したのは、その共通点があったからですね。
好きな歌詞
もう全ての歌詞にぎゅっとメッセージが凝縮されているので、あまり切り取って挙げるのも野暮なのですが、少しだけ。
こちらが一番初めの歌詞です。当たり前のことすぎて、普段は意識もしないけれど、「この私」には身体があって心がある。風が冷たい日なんかは、対照的に熱を確かに帯びている自分の身体を認識できるのが好きなのですが、それもこの歌詞に通ずることかもしれません。
日々、様々な人と接するときにあたって生じる、私たちのジレンマですよね。個人的に、永久的な命題かもしれません。ボタンの掛け違えのように会話がうまく噛み合わなくて気まずいまま別れたり、「自分」を出せない場で適当にやり過ごして落ち込みながら帰ってきたり。帰り道に、「あ、あの人と話すならあの話題を出したかったのに」とか、「もっとうまく伝えられたのにな」と、これまで何度思ったことでしょう。
「伝えたい言葉はない」んだけれども、「伝えたい気持ちだらけ」なんですよね。この表現力。当然、言葉にして外に出さないと、人には伝わるはずもないし、特にビジネスの場面では「発言しないということは、何も考えていないのと同じこと」とされるものです。でも、自分のなかに確かに渦巻いているんだけれども、簡単に言葉にはなってくれない、そんな感情や思考も存在していてしかるべきだと思うのです。
比較的最近の楽曲である『GO』でも「人に説明できるような 言葉に直ってたまるかよ」という歌詞があります。この曲も大好きです。
哲学的な印象を受ける箇所です。「思い出」という過去で輝いている存在ではなくて、今を君とともに生きること。「なくしたあとに後悔しないように」と言うのではなく、「なくした後に感じる大切さや愛おしさを、なくす前に気付いてほしい」であるのが藤原さんらしいです。
個人的に「思い出作り」という言葉に何となく違和感を覚えるのですが、意図的に「思い出を残そう!」としている時点で、未来から振り返ることを前提に、意図的に「今」を過ごしている構図に陥ってしまうからなんだと思います。「今」をただ積み重ねていって、それが結果的として「楽しい思い出だったね」という風になればいい。今このときに対して真摯でいたいのと、「思い出を作ろう」というポーズを取るのも何だか嫌なのかもしれません。「これも思い出になるって!」とかは全然気にならないのですが。
BUMPの曲でよく表現される、自分の「ちっぽけさ」をあらわすフレーズ。たとえば『ベンチとコーヒー』では、一貫する「自分の役に立たなさ、ダメさ加減への攻撃」が歌われていて、胸にささります。
でも、ここでは「ちっぽけでも、一人ひとりの存在が誰かにとっての世界を形作っているんだ」と歌われます。私たち人間は、同じ場所にいたり同じことを経験しているようで、それぞれの世界のなかに生きている。心の通じる人と時間を過ごすとき、世界と世界が交差して、自分の世界に喜びがもたらされたり、小さくても確かな支えができあがったりする。
仕事においても、そうですよね。私たちはいくらでも替えの利く存在として働きながらも、「あの人がいてくれるから働きやすいな」と思ったりすることは沢山ある。ミスチルの『彩り』で言う「僕のした単純作業がこの世界をまわりまわって まだ出会ったことのない人の笑い声を作っていく」みたいな。今回の歌詞とは少しずれますが。
これは、まさにsupernovaのことですね。私たちが爆発の光を目にするとき、既に消滅している星。どれほど大切にしていたって、生きているものにはいつか別れや終わりが来る。いなくなったとしても、私の中にあり続けるということ。よく使われる言い回しの、「人の死は、呼吸を止めたときではなく、忘れられたときに訪れる」に近いことなのかも。
もっとバンプの他の曲を紹介しながら書きたい欲がありあまるところです。
素晴らしい曲をずっと生み出してくれるBUMP OF CHICKENと、そんな曲に出会える環境に今日も感謝したいと思います。
ナマステー。