自由は奪われない
これはダメ
あれはダメ
世の中には
たくさんのダメや
〇〇すべき
固定概念や自分を縛る枠があって
ガンジガラメだ。
わたしは結婚して
3人こどもを生み
乳飲み子を抱えながら
保育園やコミュニティーをしてきた。
末娘が一年生の今は
フリースクールをしている。
お母さんになった当初は
あれもこれも抱えて
妻としても母としても
わたしできる奴よと
がんばっていたけど
ああ、わたし無理や!
と早々に良妻賢母の道は諦め
自分のやりたいことをやると決めて
ここまできた
それはまさに
これもいらない
あれもいらない
と自分の固定概念や
自分が自分を縛り付けている枠や思い込みを取り外していく作業の連続だった。
そうやって内側を見ながら
自分に嘘なく生きていたら
やりたいことがなぜか全て叶ってきた。
ご褒美みたいに。
だけどさ、
日常では毎日毎日色々おこる
こども達が自由すぎて
もみくちゃにされた昨日
いつものように
ノートに書いて
自己対話していたら
もー、いやだ!
いやだ!
いやだーーー!
ふざけんな!
勝手しろ!
こどもなんか見たくないーー!
と叫び散らかしてた。
親としては
許しがたいワードよね。
でも、このクソみたいな言葉
言ってはいけないと思ってたし
自分一人しか見ないノートなのに
今までは書くこともできなかった。
まだまだ、小さな人間だもの。
叫び散らかしたいときだってある。
自分にさえも、そういう自分を
さらけ出せなくて
そんなこと言ってはいけないんだって
そんなこと言う自分は許せないと
思ってきたんだとわかった。
対自分にさえもカッコつけて
生きてきたんだね。
でさ、
何がそんなに嫌で
何を恐れているの?と
聞いてみたら
自由が奪われる
だった。
何回も自由が奪われるのがいやだと
書き殴ったあと
ふと
あれ!?
わたしの自由が奪われることなんてある?
と我にかえった。
その時の状況がどうであろうと
わたしの自由は誰にも奪えない
それは内側に無限にあるものだから!
と思ったら
スーと力が抜けた。
どうせ自由なんだから
大丈夫だと思えた。
奪われたくないと
強く強く願うあまり
現実にバッチリ反映されてた。
様々な感情の奥にわたしの本当の気持ちがある
そうやって叫び散らかして
真ん中に戻れば
そこはいつも静かで穏やかだ。
湧き出る感情はいつも
真ん中に帰る道標
何に囚われているか
どんなことを恐れ、望んでいるかを教えてくれる。
正直なふりして
正直じゃなかったな、わたし
おかげで恐れているわたしを
見つけられなくなるとこだった。
ああ、カッコつけて生きるのは
やめよう。
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