どんなお母さんでも、どんな子育てでも正解だよね。
こどもを産んで
いいお母さんになりたかったんだよね。
それって、たぶん
本当にたくさんのお母さんが
当たり前に思うことよね。
小さなときは
特にわたしとこどもの境界線が曖昧で
こどもの痛みが自分のことのように
痛く苦しい。
だれかが
わが子のことを褒めていたら
自分のことのようにうれしく
批判されたら
自分のことを言われているかのように
ぐさぐさ突き刺さる。
特に批判されたときはきつい。
わたし自身が批判されていると感じて
刺されるような気持ち。
わたしの子育てが悪かったのかなって
自分を責めちゃう。
世間でよいと言われている
様々な子育ての型枠に
一生懸命当てはめようと
試みるも
現実は思うようにはいかなくて
たまらず
もういい加減にしてよ!と
怒ったら怒ったで
大きな罪悪感
自分の生き方と
子育ての中で葛藤して
取り残されていくと焦る感覚
子育てしていても
誰も褒めてくれないばかりか
比較と理想論で
世間は埋め尽くされていて
息がつまる。
やってられないよね、
わたしはずっと
自由だよ
囚われていないよ
そんなふりして
〇〇がいいと言ってるから
こうしなくちゃ
〇〇がいいと言ってるから
これが正しい
〇〇なのに、うちの子は大丈夫かな、、
誰かの素晴らしい子育てに
一生懸命ついていこうとして
やっぱりついていけなくて
本当に罪悪感の塊だったよ。
ましてや
自分のやりたいこと
諦めることもできなかったから
その狭間で
今振り返るといつも揺れていたと思う。
揺れることは
決して悪いことではない。
右に揺れ、
左に揺れ
やっと真ん中を掴んでくるように
いいお母さんを目指した結果
そうはなれないし
こどものためだけに頑張れない
母ではなく
武島綾子としての生き方の中で
うれしい!
たのしい!
いやだ!
くるしい!
こわい!
そんな一つ一つの感覚の中から、
自分が何が嫌で
何が心地よくて
どうなったら嬉しいのかを
はじめて知り
そんな自分と出会い
わたしだけの
今この瞬間に
心地よい型を見つけていくことを知ったから
それが周りから見て
批判されるような型であろうと
誰もわかってくれなくても
わたしたちにとって
ピッタリ心地よいならそれでいい。
人はなんのために生きてきたの?
当たり前に
わたしがこの身体、この心、この魂で
わたしを表現し
生きている喜びを味わいたいだけ
なのに
もし、お母さんが
こどものためにと自己犠牲で生きていたら
それは世間的には美しいと言われるかもしれないけど、
こどもに対して、めちゃめちゃ失礼だよね。
人の為と書いて
『偽』と読む
そんなのは偽物だから。
世間は
たくさんの子育て論で溢れかえるけど
こども達はいつも
そうはいかないよと教えてくれる。
なんで恐れているの?
何が不安なの?
何が喜びなの?
なにをしたいの?って
わたしたちの奥底を掘りおこしてくる。
わたし達、お母さんが
自分だけの生き方、自分だけの型を
見つけられるように
こども達は何があっても大丈夫
どこかの誰かの子育ての真似じゃなくて
様々に巻き起こる感情の
一つ一つを丁寧に感じ
固定概念や思い込み
〇〇しなければ
母として
一つ一つを丁寧に解き
素のわたしとして
そこに立てば
自ずとわたしだけの型は産まれる。
その過程も正解
その先も正解
で 自分軸、土台を強固なものにしたい方は
ぜひここからも読んでほしい
わたしは本当にこれに出会い
揺らがないわたしになれたから↓
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わたしも信じがたいことだったけど
自分の国のことを知るって
自分の根っこにつながること
わたしたちは
あまりに自分の国について知らなくて
知らないどころか
わたし達が教えられてきたものって
本当にマイナスなことばかりで
わたしは
なんでこんな国に生まれたのかと
日本人であることを恥じてたよ。
そんなヒト、きっとたくさんいるはず
だから
古神道にふれた時の感動は
体中の毛穴が開く感じだったから
本当に驚いた!
だからかー!とか
自分のことが全部許された気がしたし、
ああ、それでいいんだと
腑に落ちた!
もともと自分の中にあったものと
カチって繋がった!
わたしは自分の国を知ることで
自分と繋がり
揺るがない軸ができた。
いや、本当にすごいんだって!
日本という国は
今は世の中がカオスだよ
日本はどうなっちゃうの?と
多くの人が嘆くのを見るけど
みんなが本当の日本のことを知り
誇りを取り戻し
小手先の引き寄せとかじゃなくて
本当の魂のミコトモチを果たしていけば
日本は絶対大丈夫
自分の根っことつながることで
揺らがない軸ができるから
だから、本当にさ、みんなに触れてほしいよ。
古神道ワークショップ
心身を整える本格禊ぎ鎮魂行