寄付をすること。時間と空間を超えた恩返し。他者と共存すること。
いまウクライナ情勢が緊迫し、日本で多額の募金が集まっている。著名人による寄付の公表も相次ぎ、ウクライナ大使館には楽天社長からの10億円を含む20億円が、楽天募金には3億円があつまっているという。
日本の寄付市場を把握できていないが、体感としては東日本大震災以来の盛り上がりではないだろうか。
クーデターから1年。ミャンマー人によるクラファン
そして、私は今日はこちらに寄付をした。
こちらは、プロジェクトメンバーからのメッセージである。
東日本大震災の被災地から海外への支援
ウクライナに寄付が集まっているなか、ミャンマーへの寄付を呼び掛けることには、葛藤もあったのだろうと思う。ふと、東日本大震災当時のことを思い出した。あの時、私は国際協力NGOで寄付者とのコミュニケーションにかかわる仕事をしていた。余震が続き、福島の原発の状況が不安定な中、日本社会は混乱していた。そうした中で、国際協力への寄付を呼びかけていいのだろうかという想いもあった。しかし、被災地の友人や寄付者の方とコミュニケーションをとる中で、このようなメッセージをもらい、はっとした。
その後、ミャンマーの支援先の子どもたちが近所で募金を集めたり手づくり品でバザーをして、日本へ支援金を送ってくれた。子どもたち自身が日々の食べ物に苦労している中で、しかも当時はテレビやインターネットが普及していないにもかかわらず、とにかく日本が大変らしいと、募金を送金してくれたのだ。
寄付や支援というのは、決して一方向のではないということを実感した出来事だった。
世界中で、日本で、支援が必要とされている
今、ウクライナのことが最も多く報道されているが、世界には緊急支援が必要な地域がたくさんある。貧困や飢餓、環境問題などの恒常的かつ深刻な課題は、世界にも日本にも。コロナ禍で困窮する人は日本にも増えていて、支援団体はたくさんあり、それぞれに寄付を集めている。
ひとりの人間が寄付できる額は限られている。すべてに対応することは難しい。どこへ寄付するか、一人ひとりの価値観があらわれる。
寄付は、時間と空間を超えた恩返し
クラウドファンディングのスーさんの言葉通り、ミャンマー各地にある日本人墓地は、どこを訪れても、どんなに田舎の片隅でも、とてもきれいに掃除されている。高齢化が進んで、慰霊に訪れる日本人が激減した今もだ。
私の父の田舎からは、ビルマ戦線に出征した方が多い。インパール作戦から戻られたおじいさんもいる。いま私がミャンマーを応援することは、当時、日本兵を助けてくれた現地の方々への恩返しでもある気がしている。
私にとって寄付やボランティアは、時間と空間を超えた恩返しだ。これまで、爪に火を灯すような生活の時もあったが、ミャンマーや他の国の子どもの支援、日本の子どもの居場所・食支援などなど、何かしら寄付とボランティアを続けてきた。寄付は決してお金が余っている人だけがすることではないということを、ミャンマーの人たち、そして被災しても海外への寄付を続けていた方々から教わったからだ。
そして、今回のウクライナのことで、あらためて世界のどこかで今も紛争や戦争、災害、飢饉が起きていること、平和な場所は一握りであること、日本も含めて、どの地域でも誰でも、そうした困難に陥る可能性があることに気づかされた。
世界中で、困ったときに逃げられる場所、匿える場所
日本は、困ったときに、他者をどこまで受け入れられるのだろう。ウクライナの人々の積極的な難民受け入れを、これまで難民に排他的だった日本がはじめて表明した。言葉や文化が異なる人との共存は一筋縄ではいかないけれど、少しでも許容量を増やしたい。こちらの署名にも賛同した。清花さんは、海外から日本へ庇護を求めて逃れてきた方々が、人間として生活者として日本で暮らしていけるように革新的な取り組みを行っている。
未来へ向けて、助け合える社会を
助け合える社会をつくっていくことは、いつか自分が困ったとき、日本から逃げなければいけないことが起きたときに、きっと自分にも、そして子どもたちの世代へも還っていくだろうと思う。
過去、現在、そして未来にむけて、支え合いの循環をつくっていくためにも、個人として、できる範囲で寄付やボランティアを続けていきたい。