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なぜ、ミャンマー市民は抵抗を続けるのか

2/1の軍事クーデターから5ヵ月半が過ぎた。今日は、なぜ市民が長く抵抗を続けているのか、これまでの状況をもとに考えてみたい。

都市部での大規模デモと公務員ボイコット

クーデターの理由として、国軍は昨年11月の総選挙に不正があったと主張。国軍総司令官が全権掌握したまま、今日に至る。

市民は、自分たちの投票を尊重してほしい、昨年の選挙で選ばれた政権に戻してほしいと主張し、平和的なデモ、教員や医療従事者など公務員らのボイコットで抵抗している。

なかなか収まらない抵抗に、国軍は逮捕や拷問のほか、実弾や迫撃砲などの重火器を使用しての弾圧を行うようになり、今日までに900名以上が殺害されてしまった。

神のキーホルダー主

こちらは、ある友人が3/3に犠牲者を思って、胸の内をしたためた文章だ。

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「神のキーホルダー主」
3月3日の今日も忘れられない日に
#How_Many_Dead_Bodies_UN_Need_To_Take_Action on coup in Myanmar?!
今日亡くなられた中の一人がこの写真に映る19歳の女の子だ。それを知って、言葉が見つからないじゃ、いけません。彼女の心を一人国民として伝えたい。
彼女は抗議に死ぬ気で勇気を持って参加していたのだ。そして、民主化のために命をかけただけではなく、自身の身体の部分、臓器を人に寄付する準備もしていたのだ。
なんて強くて美しい心持ちだろうと思うと涙が溢れてきた。
彼女は抗議中にかけてた自身のキーホルダーにはミャンマー語でこう書いてあったのだ。
「私が元に戻れなさそうなら、もう助けないでください。それより、まだ使える身体の部分、臓器は寄付します。」……
まるで、神のキーホルダーのようだ。
私はいう。あなたは亡くなられる前から、人々に対し、はかりきれない優しさを持った神様なんだ。
私は祈る。もし、あなたが来世、人間に生まれたら、もう独裁者の国には生まれないように。
むしろ、もう天国に行ってると信じています。
私たちはいう。あなたのことは一生忘れません。
そして、ありがとう。感謝しています。
あなたの望む民主化に向けて戦い続けます。
写真は現地SNS等から引用しました。
上記の文章はコピーして是非シェアしてください。お願いします。
#WhatIsHappeningInMyanmar

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この文章はSNSでシェア拡散され、多くの共感を得た。

他のミャンマー市民たちも、それぞれに彼女に対する思いを共有し、SNSを通じて彼女の死を悼む声が広がっていった。国軍が、彼女を殺害していないとして墓を掘り起こしたことで、さらに反発は広がった。

その後、何らデモとはかかわりのない通行人、街中で遊んでいる子ども、夜間の治安をまもる住民や負傷者の治療にあたっていた医療従事者らが、次々と国軍に殺害された。

新たな犠牲者が生まれるたび、市民は、その死を無駄にすることはできない、絶対に民主化を諦めない、と決意を固めている。

地方での抵抗と国内避難民

市民の抵抗は、少数民族が多い地方でも活発だ。

チン州やカヤー州などでもデモ隊の取り締まりや拘束がなされ、市民は防衛のために猟銃などの軽装備で武装をはじめた。

これに対し、国軍は空爆や重火器で攻撃。人間の盾を用いる、白旗をあげている避難所を砲撃する、村を丸ごと焼き討ちにするといった苛烈な攻撃で抵抗を抑え込もうとしている。

国軍の攻撃から逃れるため、大量の市民がジャングルなどに逃げ込んだ。現在、国内避難民は23万人と推計されている。

着の身着のままジャングルへ逃れた市民を支援しようと、医療品などを運んでいたボランティアが国軍により襲撃・殺害され、支援物資が破壊されるという痛ましい弾圧も起きた。

十分な食料や衣料品、医薬品がなく、雨期に入って衛生環境も悪化し、命を落としてしまった新生児や妊婦さんも続出しているという…。

クーデターとコロナ禍で医療崩壊

そして今、新型コロナの第三波がミャンマーを襲い、感染爆発といえる状況に陥っている。

もともと医療体制が脆弱なミャンマーは、クーデター後の混乱で、医療崩壊状態となっており、コロナ危機に対応できていない。

国連人権特別報告官のトム・アンドリュース氏は、この危機をPerfect Storm(壮絶な災害)と表現し、「国軍には、コロナ危機をマネージする資源も、能力も、正当性もない」「国民が、まったく軍を信頼していない」「国際社会は、軍を通さない支援をコーディネートするべき」とするレポートを発表。

国軍と市民の間の信頼関係が崩壊していることを、端的に指摘した。

ミャンマーから「国軍が酸素ボンベや医薬品などを制限したから大切な人がコロナで命を落とした!」という悲痛な叫びが聞こえてくる。

国軍は、信頼どころか、憎悪の対象となってしまっている。

国軍への信頼が、急激に崩壊

ミャンマーでは、1962年、1988年、2007年に、大きな国軍への抵抗運動が起きている。いずれも武力で鎮圧された。

そのため、ミャンマー市民は国軍を一貫して敵視していたと考える人も多いが、そうでもない。

もちろん、山岳部の少数民族地域では、焼き討ち、強奪、性暴力といった、苛烈な弾圧が繰り返されてきたため、その地域の人々の国軍のイメージは、ずっと最悪である。民主化運動にかかわったとして弾圧を受け投獄された市民や国外へ逃れた市民も、まったく国軍を信頼していなかっただろう。

ただし、多数派ビルマ族が多い中央平野部では、民主化活動をしているそぶりを見せないように細心の注意を払い、目を付けられなければ、内心怯えつつも、表面的には平穏に暮らすことができた。

また、都市部や中央に住む人々は、少数民族武装勢力は恐ろしい反乱勢力であり、国軍が反乱勢力を抑え込んでいる、国軍は守護者である、というイメージを信じ込まされてきた。

軍で昇格して高級将校となれば特権階級として生活できたため、軍高官は子どもが憧れる職業であり、上流家庭女性の玉の輿先のひとつでもあった。

しかし、民政移管後の10年でスマホが普及し、今回の国軍の弾圧や非道が白日のもとにさらされたことで、国軍への信頼は一気に失墜した。

都市部の若者が、国軍のプロパガンダにより少数民族が置かれた境遇を理解できなかった過去について、謝罪の意思を示したことも報道されている。

自分の道を歩む

ミャンマーに30年関わっているノンフィクション作家の高野秀行さんは、現在の抵抗運動を独立運動だと分析している。イギリスの植民地支配後、抑圧し管理する側が国軍にすげ変わっただけだったのだと。

奇しくも、アウンサンスーチー氏も、民主化運動は真の独立運動だと言っていたという。

ただ、スーチー氏は拘束され、今回の独立運動に唯一のカリスマリーダーはいない。市民の抵抗運動に後押しされる形で、民主派政府「国民統一政府(NUG)」が登場した。

都市部の運動の中心は、Z世代といわれる20代の若者たちだ。彼らがデザインしたTシャツがこちら。スーチー氏と思われる母親から、自分で歩きだしている子どものイメージがデザインされ、「さあ、あなた自身が歩みだすとき」「あなたの未来のために闘え」とのメッセージ入りだ。

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信頼していない相手に、武力でもって支配されることを受け入れられる人は、多くないだろう。仲間や家族が殺されれば、なおさらだ。

さらに、「自分の生きる道は自分で決める」という決意も見え隠れしている。国軍による暴力でもない、アウンサンスーチーのようなカリスマ活動家の言うことを聞くでもない、市民一人ひとりが、意思をもって国をつくっていくという決意が。

少数民族は先に独立運動をはじめていた

アウンサンスーチー氏が1988年から進めていた民主化運動は、主にビルマ族にとってのものだった。彼女が党首をつとめるNLDもビルマ族が多い。

多くの少数民族は、イギリスからの独立後から、民族としての自治独立を求めて国軍と70年以上闘争している。

クーデター後に設立された民主派政府NUGには、カレンやカチンなどの少数民族の閣僚を多く登用しているが、NLD政権では、そうしたバランスはとられていなかった。

いま民主派と少数民族勢力の一部が連携しているが、様子見をしている少数民族武装勢力もいる。

今後、ミャンマーが今の全ミャンマーの範囲で足並みをそろえて国軍からの独立と連邦国家をめざすのか、地域ごとに別々の動きをしていくのか、見えない部分はある。

いずれにしても、大多数の市民が国軍を信頼していないことは確かだ。70年以上抵抗を続ける山岳部の少数民族に続いて、中央平野部の人々も広域に抵抗をはじめたといえるだろう。

そう考えると、抵抗が短期間で収まる可能性は低い。一度失われた信頼は、簡単には回復しない。

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