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19年越しの手紙
2020年の夏。2001年の自分からの手紙が突然届いた。
お盆休みの初日に起きた、嘘みたいだけどほんとのはなし。
その手紙は、高校生の私が参加した夏のキャンプで、「未来への私へ」というワークショップで書いたものだった。
確か、3年後に事務局から送られてくるはずの手紙だった。それがどうして今頃。
どうやら、あて先不明で一時をは事務局に返ってきて保管されていたが、何がどうしてか今頃になって発見されて、細いツテをたどって届いたものだった。
手紙を書いたことはすっかり忘れていた。ただ、あて先不明で返送されたことには「そうだろうな」と思った。
高校生の私は、この手の企画が大嫌いだった。おそらく住所は書いてないか出まかせにしていたんじゃないだろうか。
案の定、住所には部屋番号を書いてなかった。その部屋は、高3の時、1年間だけひっそりと一人暮らしをした部屋だった。
当時の実家は、精神障害を患い暴れる兄がいて私は何度かリンチされた。避難したいと、親に泣いて頼み込んで、借りてもらった下宿だった。
今思い出すと、なかなかエキセントリックな部屋だった。
下に大家がいて、洗濯機は共同。洗濯干場の屋上があるのだけど、そこで大家の息子が彼女やともだちを連れてたまり場になっていた。
自分とは、明らかに毛色のちがう、ボンボンのヤンキー。
陰気な私を向こうも嫌だと思っていたのか、年は近かったけど一度も話さなかった。
向かいに住む女子大生は片付けができず、定期的に廊下がごみでうまり(そして女子大生の母らしき人が片づけていく)、自称霊感が見える友人には「ここは強力な霊がでる」と断言された。
それでも、私には安全で夜に眠れる場所だった。
高三の夏、どうしてそのキャンプに参加したのかも覚えていない。普通の学生として、塾や受験やキャンプに行きたかったんだろう。「普通」ということに憧れていた。普通に生きる、ということが目的であがいた頃だった。
そんな自分が送ってきた手紙。怖すぎて、すぐには開けられず、夫やこどもが寝静まった頃にひとりで開けた。
そこには、若さゆえの照れなのか、「無理やりかかされている」「いますごく眠い。だからてきとーなことしかかけない」とか言い訳ばかり書かれていた。
恥ずかしい。無性に恥ずかしい。
そして、キャンプの直前に、大学のAO入試を受けに行ったと書いてあった。
「3年後の私はちゃんと女子大生になれてるでしょうか。いまはまあ色々あるけど、3年後の私から見たらいまの状況はどんな思い出になってるでしょうか。わたしはこのキャンプを忘れないと思う」
3年後ではなく、19年後に届いてしまったよ。
ごめんね、わたしはすっかりキャンプのことも手紙のことも忘れていたよ。
でも。あなたはちゃんと女子大生になれて、そこで未来の夫にも会えて、結婚して、兄や両親にはしばらく苦労をかけさせられたけど、今ではみんな亡くなって、重荷は消えて、かわいい子供が生まれて仕事もがんばれてるよ。
そんなふうに、過去の自分に返せることが、
たまらなく誇らしかった。
あの時、必死で生きてよかった。
今のタイミングで手紙が届いたことに特に意味はないのかもしれない。でも、今は確実に過去につながっている。
そして逆もしかりで、今も確実に未来につながっている。
もしドラえもんがいたならば、あの頃の自分にたくさんお土産を持って行って、抱きしめたい。
でもそれはできないから、ひとりきりの夜に自分と乾杯しよう。