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【あべ本#2】『安倍晋三と岸信介の「日米安保」―「戦争」に取りつかれた宿命の一族』

安保法制から田布施システムまで

さまざまなライターの記事や識者のインタビューからなる、ムック本を書籍化したようなスタイルの一冊(双葉社刊)。タイトルや表紙はなかなかおどろおどろしい雰囲気だが、中身はいたってバランスが取れている。安保法制の評価から岸信介の足跡、「安倍家」の来歴といったバラエティに富んだ組み合わせで、当初の期待以上に面白く読んでしまった。

特にネットの一部ではやたら有名な、安倍の「在日・北朝鮮人脈」、統一教会とのつながり、田布施システムの片鱗にまで迫っている。そうでありながら「トンデモ本」にならないバランスを保っている。

バランスでいえば、「編集部」名でつづられているコラムはどちらかと言わず安倍政権には批判的な思いを行間に漂わせつつ、しかし頭から否定してかからないようなニュアンス。

さらに、岸と安倍を比較したときに反安倍陣営がやってしまいがちな、「うっかり岸をほめたたえてしまう(岸も右派だけど信念はあった、安倍にはない!的な物言い)」を、チラ見せしつつもギリギリのところで転びきっていないという感。他の記事でもそうだが、「ネット以前」から紙でしっかり書いてきた人たちがライティングしているんではないかと。玄人芸が見える。

岸と安倍の比較では「岸は対米自立が政策の背景にあったが、安倍にはない」という指摘には、時代や境遇の違いを差し引いてもうなづくところがあるし、「岸は中流を作り出し日本経済に資したが、アベノミクスは中流消滅で逆を行っている」という指摘も、なかなかいい観点だと思った。

(ちなみに、なぜ「日本を取り戻す」な安倍が対米従属ともとれる方針を取っているのか? については様々な解釈があると思うが、杉田俊介『安彦良和の戦争と平和―ガンダム、マンガ、日本』 (中公新書ラクレ) にハッとする指摘があったので、ご興味ある方はぜひ)

安倍晋三は「純粋培養」なのか?

気になったのは、孫崎享氏のインタビュー。これに限ったことではないのだが、安倍の資質に話が及ぶ際に、批判的に「純粋培養」という単語を使う人がとても多い。三代政治家の家系で、カネの心配もなく、周りからも「政治家の息子」と気を遣われて育ってきたお坊ちゃんだから苦労を知らない、就職もコネを使い、選挙だって地盤看板カバンを引き継ぎ…といったあたりを指しているんだろう。

でももし自分がそんな政治家の息子だったらと思うと、ストレスに耐えられない。ある種の鈍感力こそ鍛えられるのかもしれないが、どこへ行っても自分も自分の親も祖父も知られている。親に並び超えられるのかというプレッシャーもある。自分の失態が時には父や祖父の名声にも傷をつける。こうした圧力につぶされる良家の生まれもいるであろう。

一般中流家庭に育った私からすると、これこそある種の地雷だらけに思えるのだが、これは果たして「純粋培養」と言えるような環境なのだろうか? 

ましてや同じ職を選べばこうして嫌というほど比較される。善かれ悪かれ「やっぱり血筋だ」などと言われるのだからたまったものではない。「純粋培養」という批判にあまり意味があるとは思えない。

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梶井彩子
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