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【あべ本#23】鈴木哲夫『安倍政権のメディア支配』

「安倍官邸の『圧力』」の実態

「あべ本」の中でもメディアものを続けて読んでみよう、ということで、長年テレビメディアで活躍されてきた鈴木哲夫氏の本を取り上げます。

帯からすると「アベ官邸の圧力が!!」という印象です。確かに本の冒頭にあの「I am not ABE」を生放送の報道ステーションでぶちかました古賀茂明さんとの対談があるので、「そっち(圧力ある側)寄りかな」と思ってしまうのですが、どっこい。全体としては政治側のメディア戦略の分析に加え、テレビメディアの「中の人」の声も多く拾いながら、「安倍官邸の『圧力』の実態」に迫っている。そのため、本書を読むと「安倍官邸の『圧力』」なるものの見方がかなり変わります。

前回ご紹介した本も民放連職員が筆者だったので、テレビメディアの「中の人」ではあったのですが、同じ業界の人でも、こうも見方が違うのか、と思わされること請け合いです。

「ベッチホン」で篭絡

冒頭の緊急対談で古賀茂明氏は安倍官邸からのメディアの圧力についてこう述べています。

テレ朝や「報ステ」などで官邸の誰から誰に圧力があったかなど確証はちゃんとありますが、ここでは置いておきます。

なぜ「置く」??? という感じですが、実はこの一文の前に、こんなことも仰っている。

いまのやり方はトップを抑えるんですね。安倍総理から直接携帯に電話がかかってきて喜んでいるトップの人を目の前で見ました。そうやってトップを抑えれば、現場は忖度して自主規制になるんです。

「抑える」と言っても弱みを握って脅すなどというものではなく、単に電話したり飯を食ったりするだけのこと。電話があったくらいで? と思ってしまいますが、第一章にこんなくだりが。

安倍総理に随行する機会の多いスタッフのひとりが、こんなことを言った。「総理はまめにマスコミ関係者に電話しているようだ。新聞とテレビの両方、現場の記者もいれば経営陣もいるようです。じつはそれがマスコミ戦略なんですよ」
ある大手新聞社の論説委員が「反省も込めて」と、こんな本音を明かしてくれた。「電話では『あの政策はどうですかね?』などと意見を聞かれる。こっちも総理じきじきの電話だからイヤな気はしない。総理は『ありがとうございました。またお食事でも』と。恥ずかしい話だが、明らかに取材者の自尊心が満たされる。そんな電話が何度もかかってくると、ついついどこかで安倍贔屓になっていく」

もちろん私は総理からの直電を受けたことがないので分かりませんが、そのくらいのことで舞い上がってしまうものなのでしょうか。おそらく「総理から電話がかかってくる俺」「意見を聞かれた上にお礼まで言われちゃう俺」(女性もいるでしょうが)という意味で、うれしくなってしまうのでしょう。子供か。

もちろん一方で、安倍官邸は近しい議員を使って、個別の番組に即座に抗議を申し入れたり、担当者を呼び出すという「圧力らしい圧力」もかけてはいる。が、それは政府としてではなく党としてやっているという体裁もあり、もちろん行き過ぎれば問題になるが、そうならない段階にとどまってはいる、と2015年刊行当時の筆者は述べています。

そのうえで、テレビ局側にもこうアドバイス。

基本的に党レベルで呼ばれたらどうすればいいか。テレビ局側は慌てず、堂々と出向いてことを説明し、「で、何か問題がありますか?」とやり返し、そこで決着させればいいのだ。

全く同感です。

安倍総理が使う飴と鞭

安倍支持者の間では、「安倍さんはヒラ議員の頃から朝日新聞など左派メディアと戦ってきた。だから第一次安倍政権はメディアに叩き潰された」というのが定説になっています。そして、今もメディアからはいじめられている、だから反メディア的なネット人士や支持者が、安倍政権を守らねばならない――と。

しかしこれも実はアップデートされていない「安倍政権とメディアの敵対関係」で、実際には第二次安倍政権になってからは、第一次の反省を生かし、一方では敵対する姿勢を見せながら、一方では直電を入れたり飯を食ったりして、つかむべきところはつかんでいるわけです。まさに、飴と鞭。本書の刊行から4年半が経っていますが、この辺りどうなっているんでしょうか。

いずれにしろ、「官邸の圧力」「それによる現場の委縮/忖度」という問題については、政治側の圧力のエスカレートは懸念しつつも、基本的にはメディア側の姿勢の問題なのではないかという気がします。

「圧力」よりも警戒すべきもの

政治の側でもっと警戒すべきは、そのような「申し入れ」の類ではなく、政党と代理店がタッグで行う「選挙戦」ではないか…と第三章を読むと感じます。

民主主義が高度化すると、選挙戦略も成熟してきて、それこそが人為的に「分断」を生み出している……というこれまでにない観点を、渡瀬裕哉氏が新著で解説していました。

まだ日本はここまでは行っていないかもしれませんが、メディアを通じた選挙広報は2000年代以降、急速に発展中。ネットメディアも含めての政治広報戦略の高度化は、有権者であるわれわれがボヤーっとしている間に自分たちの生活圏に入り込んできているといえます。

例えば、第二次安倍政権の昨年一年間を見ても、インスタグラムの使い方はかなりうまくなっていました。私のようなものはそうした「うまさ」を警戒するタチですが(インスタグラム自体が好かないのもあるが……)、日常、インスタで情報収集をしている若い方々からすれば、親近感を覚えたかもしれない。もちろん一方には「おっさんが入ってくるなよ」と警戒する向きもありましょうが(女性誌と自民党のタッグなどはあからさますぎて炎上)、少なくとも官邸や自民党の広報には、そうした提案を受け入れる土壌はある。

一方メディアはどうなのか。圧力批判もいいのですが、相手の戦略の高度化を上回るような分析や戦略があるのでしょうか。ネット上での反応(炎上)や抗議を過度に恐れるようになったともいわれていますが、果たして。

筆者の鈴木氏もこう述べています。

(大した公平性も担保されていない現状の)こうした茶番からテレビ報道自身がどうやれば脱却できるかを考え、権力に屈しないテレビジャーナリズムの覚悟をいま一度持つ時期に来ているのではないか。

「時期」だと指摘されてからもう四年余りたっていますが、テレビジャーナリズムの現場に変化はあったのかなかったのか。注目していきたいところです。


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梶井彩子
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