【あべ本#22】砂川浩慶『安倍官邸とテレビ』
帯に漂う「嫌な予感」
安倍政権のメディア介入やメディアに対する圧力を非難する向きは多く、特に2016年4月に岸井成格・古舘伊知郎・国谷裕子各氏が番組を降板した件は、三者ともに政権に厳しい態度をとっていたことによって「政権の圧力によるものに違いない」と言われてきました。
国谷氏と高橋源一郎氏の対談も読みましたが、本人ははぐらかすばかりで圧力があったともなかったともいわず、古舘氏は会見で明確に圧力を否定。またこれは少しずれる話ですが、NHK記者で「圧力によって記者職を外された」とする相澤冬樹氏の『安倍官邸VS.NHK』も(レビューはこちら)、結局圧力とはどうやってかけられたものなのかよく分からない。相澤氏は某テレビ番組でこの件について尋ねられると、「じゃあお前が取材して来いよ!」とよくわからないキレ方をしていました。
で、本書です。帯に「相次ぐキャスター交代は『偶然』なのか」とあり、「偶然じゃないなら『偶然ではない!』って書くやろな…」と思いながら読んだところ、本文でも「これは『偶然』の流れなのだろうか?」と書くにとどまっていました。「いや、こっちはそれを知りたいんだけど……?」という気持ちは、またしても置き去り。不幸なことに嫌な予感が的中してしまいました。
圧力が何だって言うのか
筆者の砂川浩慶氏は民放連職員を経て現在は大学教授。本書は戦後におけるメディアと政治(自民党)の間に生じた問題を取り上げ、中でも第一次・第二次安倍政権期の事案にページを割いています。
確かに、安倍官邸(というか安倍氏自身が)他の議員とは違った姿勢でメディアに相対しているのはその通りで、もはや敵視と言って過言ではないでしょう。しかも第二次政権期になってからは叩いて反メディア的な支持者を味方につけただけでなく、一方では懐柔策(と見られる手段)まで弄しており、メディアとは反権力的であるべきとする筆者やそうした価値観を重んじる人々が「ぐぬぬ…」となるのも分かるし、それが引いては国民の知る権利に多大な影響を及ぼすという点では、見逃せない要素であることも分かる。
が、一方でやはり「政権が公正な選挙前の報道を求める文書を送り付けてきたからと言って、それが何なの?」という気もする。行政側に「メディアが不偏不党の自由な報道ができる状況を用意しておく」必要があるのだ、という筆者の言い分は分からなくもないのですが(放送法第四条の解釈について、筆者は「不偏不党」をメディアが守れという条文ではなく、それができる状態を行政が確保すべきだとの条文だとのこと)、「政府に何を言われても、反論してあとは粛々と報じていけばいいのでは」という気にはなります。
電波停止まで持ち出されては黙ってはいられないのは分かりますが、いつだったか元『週刊文春』編集長の新谷学氏が言っていたように「だったらどこまでやったら停止されるのかギリギリまでやってみよう」というくらいの姿勢でもいいのではないか。
「椿事件」の真相?
もう一つは、番組のつくりが偏向している、あるいはコメンテーターの発言が偏っているという批判について。筆者は「単一番組内で政治的な公平さを実現する必要はない」「一定期間に流された放送番組全体で公平か否かを判断すべき」で、放送局を所管する総務省もそういっている、としています。
まあそりゃそうだよなと思うし、先にあげた国谷さんもある本でそうおっしゃっていましたが、反安倍派からは「政権寄り」と言われ、親安倍派からは「反日的」などと批判されるNHKはともかく、TBSなどが、例えば「かなり尖った鮮明な安保法制反対を示した岸井コメント」とバランスを取るような(対極の)コメントなりを放送をして公平さを実現したのかと言えば、それについては書かれていません。もしあればここはぜひ知りたいところです。
面白かったのは、いわゆる「椿事件」と言われる、1993年にテレビ朝日の報道局長が「非自民党政権成立を意図した番組作りを指示した」という件について。これはもう自明の理、歴史的事実として認識していたのですが、「非公開の場で(フカして)言っただけで実際に指示はしていない」「発言メモが独り歩きしたのだろう」と筆者は結論付けています。
しかし、非公開の場とはいえこういうことをフカしてしまえる点は批判しておくべきではないのかと感じました。上司がこういう心根でいれば(まして発言していれば)実際に番組を作る際もある一定の方向へ結論付けるようなものが良しとされてしまうでしょうから。政権に対する官僚の忖度も問題ですが、局幹部に対する局員の忖度も問題です。
安倍をヒーローにしてしまったメディアの責任
この本を読んで感じる違和感は、上記の件でもわかるように、どこか自分たち(メディア)の負の部分を小さくとらえてしまっているのではないかという点です。テレビメディアだって、ある種の権力なのに。
例えば、安倍氏が抗議したというTBSの二つの事例。一つは731部隊の報道の際、なぜか安倍氏のパネルが映りこんだというもので、もう一つはNHKアナウンサーの痴漢行為容疑を報道する際に、やはり安倍氏の画像が映りこんだとするもの。これこそ「『偶然』なのか」という感じがしますが、いずれにしてもこの件が、反メディア的立場の人たちを「安倍さんはメディアにいじめられている!」とばかりに安倍支持に向かわせたことは間違いないわけです。
そしてこれまでの政治家とは違う態度でメディアに相対し、上記のような問題を受けて「メディアと断固戦う」姿勢を見せた安倍氏を、反メディア的で新興勢力として台頭してきたネット民たちが持ち上げるようになった。
いわば安倍氏をある種のヒーローに仕立て上げた立役者の一人が、こうしたメディアだったことも指摘せざるを得ないでしょう。皮肉なことですが。