いのちの向こう側に氣づく
今世に起きるどんなことも魂の経験と喜びへ
最後のときに「よくやった」と「ありがとう」で飛び立てる世界を目指す
ヘルスコーディネーターナースのたかのあやこの自己紹介noteです!
優しいおばあちゃんの看護師姿に憧れて
わたしが看護師になろうと思ったのは、
とにかく優しい大好きなおばあちゃんが看護師だったからです。
おばあちゃんに憧れて看護師の道を選んだのは保育園の頃でした。
もちろん小学校の卒業文集の将来の夢も看護師。
救命救急24時のTVを見ては
いつかわたしもこんなかっこいい看護師さんになるんだ!と心踊らせていました。
一直線に進んだ看護への道でしたが
大学生で看護を専門に学び始めてわたしは気づいてしまいました。
ヤバイ!お勉強が全然楽しくない!!!と
あろうことか、
ほとんどの授業を机に突っ伏して寝ては
テスト前になってはお友達にノートを借りてなんとか乗り切る学生時代。
あっちゃー!
わたしは看護の道を間違えたのかしらと半分絶望しながら学生時代を過ごしていました。
道を間違えたかなと思いつつ、まあ、人生こんなもんかと特に深く考えることもなく、学校を辞める理由なんてもちろんあるわけなく
看護学生3年生で実習にすすみました。
その実習は良くも悪くも
わたしへ大きなショックを与えることになりました。
死を意識し心が震える
20歳の看護師学生になり
死を意識して生きてる人にたくさん出会い、心が震えました。
それまで、大きな病気や家族の死にしっかり触れたことのなかったわたしは
病棟で出逢うおじいさん、おばさんの姿をみて
この人は夜、天井を見上げて「自分は死ぬのかな」と思うのかなと
いのちの終わりを意識して生きている人の孤独感や悲しみ、痛みをひしひし感じ、
当たり前に生きているってすごいことだと改めて、感じたのです。
この頃読んだ「かげろう」のこの一節が強烈に印象に残っています。
そして、いのちの限りを感じて生きている人にもっと出逢いたい
そう思って看護師として臨床に出ることを選んだのです。
臨床では救命の現場でバリバリナース
そして、新社会人となり新人ナースとして働き出したわたし。
自分のお仕事の出来ない情けなさ、
看護師としていのちを背負って働くプレッシャー。
ミスを怒られるのが嫌で
自分のしたミスを隠そうとしたり
己の情けなさに涙が出る日々でした。
髪の毛が薄くなったり
心臓に初めて不整脈を感じたり
今までになく眠りが浅くなるなど
身体もいろんな変化がありつつも
とにかく優しいプリセプターさんや同期に囲まれて成長していきました。
先輩たちの看護は本当に素晴らしく
患者さんが辛いとき、大変なときに
床に膝をつけてお話を聞いている姿や
夜中に何回トイレに呼ばれても
さあ、行きましょうって言えるこんな人たちがいたら
どんなに救われるだろうと思いました。
でも現場で出会ういのちの最後に疑問を持ちます。
・点滴でむくむくになっても心臓が動くために点滴を入れること
・何回も電気ショックをかけて、身体が何回もびくっとなること
・肋骨がボキボキ折れながらやる心臓マッサージ
・陽圧換気マスクの人工呼吸器をつけていないと命が保てない方がマスクが苦しくて外して欲しいと訴える姿
・元氣そうだった方がどんどん患者さんらしくなっていった化学療法
・「もう食べたくない」というおばあさんにもうちょっと食べましょうという無理やり口にご飯を運んだこと
・一晩中「帰りたい」と叫んでいるおばあさん
・点滴を抜いてしまい、安静が大切だからと体幹抑制されていること
もっともっといろんなことがありました。
人間の最後はこんな苦しいものだろうか
いのちはどこまで頑張らなければならないのか
と先輩に聞いたり同期と話したり自問自答したりしました。
そこで、
医学の発展は希望のために必要だけども
そのアプローチをすべての人に当てはめるのは違うということに氣づきます
(この頃は明確に言語化はできていませんでしたが)
医療現場の差を感じ途上国セネガルへ
行き過ぎた医療と足りていない医療現場の差を感じ、
逃げたさ半分、
なにか役に立ちたい、
なにかできることはないかの考え半分、
途上国セネガルへいくことになります。
そこで出会った人々の生活、イスラム教の神様が軸になっている中で、
わたしたちは大きな大きな流れの中で生きているという感覚を得ます。
目の前でいのちをさばいてご飯を食べることも
誕生日がわかることも
お金や生きることへの貪欲さも
のほほんと
日本で生きてきたわたしにとっては
あまりに衝撃でした。
ここに生まれたセネガル人と
日本に生まれたわたしたち。
いったい何が違うんだろう。
たまたま日本に生まれたことで
こんないろんな選択肢を持つことができ、
行く場所もしたい勉強も将来の夢も選べる。
セネガルでは、
夢をきくと親の職業を答える子が圧倒的に多かったです。
(まあ、わたしもおばあちゃんの職業な訳だけど😆)
でも、
もしかして、ピアニストの才能があっても、
ピアノに触ることさえないかもしれない。
やっぱり生まれた場所のちがいは大きいなと正直感じました。
でも、だからといって可哀想なんてことはなく
それが当たり前なだけです。
セネガル人の死生観
そして、今の活動につながる
霊性の世界につながる体験もたくさんありました。
おじいちゃんやおばあちゃんになって寝てることが多くなったら、ごはんは布団のところまで運ぶけど口に運ぶことはない。
神様がその人を生かそうとすれば自分で食べる。
食べないのならば、神様がもう十分だよと言っているんだよ。
という最後のときの考え方を知ったり。
マラブーの怪しいおまじない(髪の毛に白い糸が結ばれている)によって肌荒れが良くなった女の子がいたり。
日本だったら助かるだろうという
交通事故でたったいま亡くなった青年の母親が泣き叫んでいたり。
雨季の時期にねらって栽培される主要産業のピーナツが大雨でほとんど流されてしまったとき、
怒ったり悲しんだりしながらも、神様がこうしたのかと、なるようにしかならないと受け止めていたり。
日本だったら
もっとこうするんだろうな、
もっと助けられるいのちもあるんだろうな
と思いつつ
セネガルではこうした
たくさんの悲しみや怒りが
「神様がこうしたんだ」
という大いなるあきらめと言うような
私たちはここにこうして生かされているという考えに繋がっていたように思います。
大きなものに決められて生きているのではないか
明日会議しましょうと提案すると
神様が望んだらね、、、
病気が良くなったら
神様のおかげで、、!
という
イスラム教でよく使われる
「インシュアラー」
(神様が望んだら)
「アムハンドリラーイ」
(神様のおかげで)
この言葉たちをこれでもかとたくさん聞きました。
このあたりから、
わたしたちは生まれる場所から含めて、
この人生でどんなことが起きるのか、
どこに行って誰と会ってどんなことをするのかなにか大きなものにおおまかに決められて生きているのではないかと感じるようになります。
健康に関しても
薬や手術で治す、だけでなく
病気が治るとおまじないがかかっている
おばあちゃんが治ると信じてくれている
その人がそうに信じていることが
その人の健康状態を大きく左右する。
そんなまさかな出来事を目の当たりにして
その人の中に治る力があるという
「自然治癒力」という言葉に強く惹かれるようになりました。
ホリスティックの道へ
セネガルにいる間、Kindleの本などを読み漁り
「ホリスティック」(全体性)という言葉に出逢います。
帰国してすぐに
実はホリスティック医学協会で働いていたという友人に
ホリスティック医学協会のシンポジウムのチケットをプレゼントしてもらい、ホリスティックの世界の扉が開かれることになります。
そのシンポジウムが「魂の医療」というテーマでした✨
セネガルに行く前のわたしだったら、怪しい!の一択で見向きもしませんでしたが、
価値観が変わるとは面白いもので、怪しさ半分興味半分で聞きに行くことになりました。
そこで、
がんはメッセージという考え方や、
催眠療法の世界をのぞかせていただき、
医療の世界にこんな怪しい分野を真面目に語る場所があるのかと
心底驚き、希望を感じたことを覚えています。
そこで驚いたことは、
ホリスティック医学協会の設立は1987年だったことです。
なんと、わたしが生まれるより前から
こんな素晴らしいムーブメントがあったとはこの頃のわたしがどんなに感激したかわかりません。
そういえば、
看護の授業でも全人的医療なるものがあったなあ、、!
なんて、ホリスティックを深め始めてから氣づいたり。
そして、
この頃は知るよしもありませんでしたが、
大学では帯津三敬病院と親交のあった教授に教わっていたのです。
机に突っ伏して寝ていたあの頃のわたしに
間違いなくホリスティックの種が蒔かれていたのですね。
その種は、
いつ芽を出すのか、花を咲かせるのか
本当に人生というものは面白いものです。
シンポジウムの内容はその当時のわたしには、
全てが理解できるものではありませんでしたが、不思議とそのわからなささえ心地よく、わくわくした気持ちで帰宅しました。
帯津三敬病院の看護師になって
そして、ホリスティック医療とはなんぞや!ということで
帯津三敬病院の門をたたき、本格的にホリスティック医療について現場で学ぶことになります。
帯津三敬病院で行われているのは、
基本的には西洋医学ですが、
そこに補完代替療法と言われる
などが取り入れられています。
HPの説明には、
代替療法は人間の物質的な「身体」よりも、心へ作用するものが多く存在します。
人間の心と体は繋がっています。「身体」へのアプローチを得意とする「西洋医学」に加え、「心」へのアプローチを得意とする代替療法を組み合わせることにより、さらなる症状の改善を見込めると考えています。
と記載されています。
ホリスティック医療と言っても
代替療法を取り入れているからホリスティック医療だということではありません。
一番大切なのは、
目の前の患者さんが
このいのちをどうに生きたいか。
そのために、
西洋医学・代替療法問わず
その人の生き方・そして死に方までを叶えるために
どのような方法を選ぶか一緒に考える
ということです。
そのために、必要なのは
「生きる」ことに関して
「死ぬ」ことに関して
どのような信念を持っているか話し合うことです。
死生観とも言いますね。
あの世を想ってこの世を生きること
たとえ
この病気が治ったとしても
いつかはこの世を旅立つ時が来る
今、この肉体があるとき、
どんなことを大切にして
このいのちを生きたいのか、考えることです。
帯津先生は、このことを
「生と死の統合」という言葉を使って表現されています。
あの世を想ってこの世を生きる。
「死を忘れるな」「死を想え」
という「メメント・モリ」もそうですね。
ホリスティックは
ボディ・マインド・スピリットといわれるように
この肉体のみならず、
霊性の世界の捉え方も大切になってきます。
この霊性の世界に関しては
まだ科学では明らかにされていないことも多いですが
それぞれの体験や経験の中で感じたことが大切だと感じています。
わたしだったら、
旅立ったあとのお顔がなんとも穏やかで美しくなることから
この世をやり切ったんだなあ、あの世は心地よいところなのかなあと感じられること。
瞑想をする中で、自分の内側に感じる宇宙の広がりやここにつながることができたら安心だなと思えること。
セネガルで出会ったおまじないや神様とともに生きる生活を体験したことなどですね。
それぞれの体験の中に
必ずホリスティックな種が蒔かれていて
必要な時に、芽を出すのだと思います^^
このいのちを生きていて苦しくなるとき
少し視野を広げてみて、
あの世を思うことをしてみてください。
それは決して恐怖や不安だけではなく
このいのちの生きる意味に氣づく温かい時間になるはずです。
わたしは、看護師として
霊性の世界を持って生きていくきっかけを
医療の現場につくることでもっと温かい医療になると想っています。
死はなにも敗北なんかではなく、
この世を生ききったからこその
「ゆるし」の時なのだと伝えていきたいです。
毎月ホリスティックヘルス塾を開催しています。
ご興味あるかたぜひいらしてくださいね✨