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誰がジョン・ガリアーノを壊したのか。[ジョン・ガリアーノ 世界一愚かな天才デザイナー]を観て

2011年、ショッキングなニュースが、瞬く間に世界へと流れた。
クリスチャン・ディオールのデザイナーとして活躍していたジョン・ガリアーノが逮捕されたのだ。
パリのカフェで隣同士になった見ず知らずのカップルに、反ユダヤ主義的暴言を吐いたという。
何かの誤解ではないかという関係者やファンの思いは一瞬で吹き飛ぶ。
その時の動画が存在し、泥酔しながら相手を攻撃する姿が拡散された。
ガリアーノは有罪となり、クリスチャン・ディオールおよび自身の名を冠したブランドからは解雇され、文字どおり"すべて"を失くした。

ジョン・ガリアーノ 世界一愚かな天才デザイナー


私がファッションの世界に足を踏み入れたのが2013年。
ジョン・ガリアーノは事件を起こしたあとファッション業界を一時的に去り、クリスチャン・ディオールのデザイナーはラフ・シモンズに代わったことで私たち世代にはディオール=ラフ・シモンズのイメージがすでに定着し、ジョン・ガリアーノの栄光は過去の遺物となっていた時代でした。



でも、その名前はファッション業界にいれば誰しもが一度は聞く名前。



でも、私は知らない。
ジョン・ガリアーノがどんな人物でどんな事件を起こしたのかもまるで知らなかった。
ファッションはいつだって未来だけを見ている。過去は振り返らない。


だから私たちはジョン・ガリアーノの"栄光"を知らない。



彼のした差別を許すべきか?


この問いに対する私の考えは「彼のした発言は許されない。だからこそ許されるように生きるべき」だという答えである。


差別は誰の心の中にもある。
私は差別をしない」と思っていても「〇〇人はマナーが悪い」「女性は母性的だ」「女々しい男」などマイクロアグレッション(日常に潜む差別)はどこにでもあり、そのほとんどが無意識に発せられる。


ジョン・ガリアーノだけが特別だったのではない。違いといえば彼が世界的なデザイナーであったという一点だけだ。



才能だけでは食べていけない。けれど才能がなければやっていけない。


昔、「イヴ・サンローラン」を観たときにも感じたけど一人の天才が現れるとその才能を食いつぶすまで搾取するファッション業界の在り方には私は今でも懐疑的です。



ジョン・ガリアーノというあれだけの才能を持つ天才でも、年32回のコレクション、メディアへの取材、顧客となるセレブとの付き合い、売り上げ目標をクリアすること全てにおいて自身をすり減らすような日々の中、しだいに酒、薬物、そして仕事に依存したガリアーノが徐々に常人じゃない目になっていき、彼が確実に"死"に近づいて行っているのが映画を観ている側からはよく分かった。


だが彼を止める人はいない。
作品が良ければショーが良ければデザイナーの人間性などなんとも思わない。それがファッション業界の良いところでもあり悪いところでもある。
そして今回はそれが悪い形で作用してしまった。



タイトルにもなっている、この作品の中のジョン・ガリアーノの"愚かさ"とは何だったのか。



検索すると「愚か」の意味は知恵・思慮が足らないこと。


映画を観ていて私が一番思慮が足りていなかったと感じたの、コレクションのテーマに対して敬意を表さなかったことだと感じています。


人類や宗教、政治などセンシティブな内容をテーマにするならば、その歴史や文化まで深く掘り下げなければいけなかったことを、彼はインスピレーションが浮かんだらすぐにそれをファッションにして発表してしまう。


いいと思えば、すぐに飛びついてしまう子供と同じだったのだ。



ジョン・ガリアーノの事件をへてファッション業界はどう変わるべきか。


このことについてはパンプレットのジョン・ガリアーノのインタビューが一番伝わりやすいと感じたのでそこから引用させていただきます。

Q.ディオールを解雇されてからファッション業界はどのように変化したと思いますか?

ある意味、とても変わったと思う。メンタルヘルスの問題や中毒について、人々はよりオープンになったと思う。サステイナビリティ(持続可能性)については、とても歓迎すべきこと。でも「クリエイターの持続可能性」についてはもっと話してほしい。クレイジーな期待、ファッションイヤーのクレイジーなタイムテーブルは変わっていない。デザイナーに期待される生産量は、まだ正しくない。私たちはいまだに、たくさんの服を作ることを期待されている。スタジオにいるすべての時間は、普段の生活を遠ざけてる状態だ。想像するためには、生きる必要がある。経験する必要がある。作家のように、画家のように、レコーディング・アーティストのように……
私たちは皆、創造するために経験や感情、思い出を必要としている。そして、もしもそのチャンスが与えられないとしたら、何が起こり得るか、私たちは知っている。

ジョン・ガリアーノ 世界一愚かな天才デザイナー



最後に


映画はマルジェラのショーの舞台裏にいるジョン・ガリアーノを映し出して終わる。
彼の顔は晴れやかでショーを終えた喜びに満ちていた。

あの事件の良かった側面はジョン・ガリアーノが命を落とす前に止まることが出来たことだろうと私は思う。
そうやって止まれず自ら命を絶つデザイナーのニュースを何人も見てきた。
けれど彼は立ち止まり考え学び、贖罪と新たなクリエイションをマルジェラと共に歩んでいる。
それは生きているからこそだ。


映画の中で彼はこう語っている。
「以前よりもずっと幸せだし、創作も続けている」


これからもジョン・ガリアーノとマルジェラのクリエイションを見守っていきたい。
そう最後に思わせてくれる映画でした。


Maison Margiela Artisanal 2024 ‘Nighthawk’


最新のコレクションを観たらダークな世界観で
「大好き
❣️」ってなってしまいました😂



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