誰がジョン・ガリアーノを壊したのか。[ジョン・ガリアーノ 世界一愚かな天才デザイナー]を観て
私がファッションの世界に足を踏み入れたのが2013年。
ジョン・ガリアーノは事件を起こしたあとファッション業界を一時的に去り、クリスチャン・ディオールのデザイナーはラフ・シモンズに代わったことで私たち世代にはディオール=ラフ・シモンズのイメージがすでに定着し、ジョン・ガリアーノの栄光は過去の遺物となっていた時代でした。
でも、その名前はファッション業界にいれば誰しもが一度は聞く名前。
でも、私は知らない。
ジョン・ガリアーノがどんな人物でどんな事件を起こしたのかもまるで知らなかった。
ファッションはいつだって未来だけを見ている。過去は振り返らない。
だから私たちはジョン・ガリアーノの"栄光"を知らない。
彼のした差別を許すべきか?
この問いに対する私の考えは「彼のした発言は許されない。だからこそ許されるように生きるべき」だという答えである。
差別は誰の心の中にもある。
「私は差別をしない」と思っていても「〇〇人はマナーが悪い」「女性は母性的だ」「女々しい男」などマイクロアグレッション(日常に潜む差別)はどこにでもあり、そのほとんどが無意識に発せられる。
ジョン・ガリアーノだけが特別だったのではない。違いといえば彼が世界的なデザイナーであったという一点だけだ。
才能だけでは食べていけない。けれど才能がなければやっていけない。
昔、「イヴ・サンローラン」を観たときにも感じたけど一人の天才が現れるとその才能を食いつぶすまで搾取するファッション業界の在り方には私は今でも懐疑的です。
ジョン・ガリアーノというあれだけの才能を持つ天才でも、年32回のコレクション、メディアへの取材、顧客となるセレブとの付き合い、売り上げ目標をクリアすること全てにおいて自身をすり減らすような日々の中、しだいに酒、薬物、そして仕事に依存したガリアーノが徐々に常人じゃない目になっていき、彼が確実に"死"に近づいて行っているのが映画を観ている側からはよく分かった。
だが彼を止める人はいない。
作品が良ければショーが良ければデザイナーの人間性などなんとも思わない。それがファッション業界の良いところでもあり悪いところでもある。
そして今回はそれが悪い形で作用してしまった。
タイトルにもなっている、この作品の中のジョン・ガリアーノの"愚かさ"とは何だったのか。
検索すると「愚か」の意味は知恵・思慮が足らないこと。
映画を観ていて私が一番思慮が足りていなかったと感じたの、コレクションのテーマに対して敬意を表さなかったことだと感じています。
人類や宗教、政治などセンシティブな内容をテーマにするならば、その歴史や文化まで深く掘り下げなければいけなかったことを、彼はインスピレーションが浮かんだらすぐにそれをファッションにして発表してしまう。
いいと思えば、すぐに飛びついてしまう子供と同じだったのだ。
ジョン・ガリアーノの事件をへてファッション業界はどう変わるべきか。
このことについてはパンプレットのジョン・ガリアーノのインタビューが一番伝わりやすいと感じたのでそこから引用させていただきます。
最後に
映画はマルジェラのショーの舞台裏にいるジョン・ガリアーノを映し出して終わる。
彼の顔は晴れやかでショーを終えた喜びに満ちていた。
あの事件の良かった側面はジョン・ガリアーノが命を落とす前に止まることが出来たことだろうと私は思う。
そうやって止まれず自ら命を絶つデザイナーのニュースを何人も見てきた。
けれど彼は立ち止まり考え学び、贖罪と新たなクリエイションをマルジェラと共に歩んでいる。
それは生きているからこそだ。
映画の中で彼はこう語っている。
「以前よりもずっと幸せだし、創作も続けている」
これからもジョン・ガリアーノとマルジェラのクリエイションを見守っていきたい。
そう最後に思わせてくれる映画でした。
Maison Margiela Artisanal 2024 ‘Nighthawk’
最新のコレクションを観たらダークな世界観で
「大好き❣️」ってなってしまいました😂