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発達障害で不登校&五月雨登校の子を2人持つ、疲れきったアラフィフの母親が、最近、子ども達について思うこと

うちには、発達障害の子どもが2人いる。

1人は、五月雨登校の中1の息子。

もう1人は、完全不登校の小2の娘。

現在、中1の息子が小1の三学期から不登校になった為、約6年前から学校&教育委員とは戦い続けて来た。

学校も改善されたところも、あるにはあるけれど、私が住んでいる町は、とても保守的な田舎。

みんなと同じことが、同じように出来ない子どもは、うちの地域には適応教室的なところもない為、どうすることも出来ず、家でゲームでもやっているしかない。

前までは、その状況に我慢が出来ず、あちこち相談したり、頑張って私が外に連れだしてみたり、あれこれしてみたけれど、結局、何の解決にも至らず、私が疲れきって具合を悪くしただけだった。

決められた枠におさまらない子どもならば、無理に枠にはまる必要はないし、無理に枠を広げようとする必要もない。

最近、そう思うようになった。

それよりも、特に中学生の息子は、次に進む進路を考えていかねばならない。

私は最近、いかにして学校に行くようになるか…よりも、世の中の動きと、生きていく力と、息子が興味あることに関心を抱くようになった。

息子の興味あることと、世の中の動きが合致しなければ、生きていく力には結びつかない。

特に今の世の中、動きが急激に進化しているように思う。

私は専業主婦の為、社会に乗り遅れがちなので、社会の波に乗り遅れないよう必死だ。

もうこの際、どういった配慮があれば教室に入れるか…なんてことよりも、我が子がどういう方向に進めば、将来、食べていけるか…ってことを考えていった方が重要な気がする。

みんなと同じことが出来ないとしても、要するに、生きていく力を持てれば良いわけで、うちの子は、公務員の事務仕事や大企業の一社員のような仕事には向いていないということだけは分かっている。

ならば、うちの子は、どんなことに向いているのか、それがどんな仕事に繋がるのか…を考えていった方が、どうすれば学校に行くようになるのか、とか、どうすれば教室に入れるようになるのか…を考えるより、よっぽど大切なことではないかと思うようになって来た。

もちろん、日本の学校の制度も疑問だらけなので、うちの地域の保守的な田舎の町の学校のことよりも、日本の学校の制度について興味関心を持っていこうとは思っている。

だって学校って、本来は、子ども達が将来、生きていく力を身につけていく場であるわけで、それがうちの子のように学校に通えないとなることは大問題…しかも通う義務がある義務教育なわけだから。

そして最近は、不登校の数も過去最高人数ともいわれているようだ。

このままで、日本の学校の制度がいいわけがない。

でも、精神科に通い、薬を服用している疲れきったアラフィフの私には、とりあえず自分の子ども達のことで精一杯。

まずは、まともに学校に通えなくて、ちゃんと学校教育が受けられていない我が子達を、いかにして、将来、食べていけるようにするか…を考えていこうと思う今日この頃でした。

最後まで読んでいただき、ありがとうございました🙇





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