不登校の我が子たちを見て思う…何もしたくないのは私の方ではないか?
うちには、発達障害で不登校の子どもが2人いる。
かれこれ不登校の母親歴は10年以上。
今まで、どうにかして少しでも学校に行かせなくては…と、あれこれ試してきた結果、私が倒れて動けなくなった。
一日中、布団の中にいても、常に頭はフル回転で色々と考えている為、全く休めない。
私はずっと寝てて良いのか、昼夜逆転してる子ども達をどうにかしなくて良いのか、何日も風呂にも入らず歯も磨かない子をほっておいて良いのか…どうにかしなくてはと思っても、体が動かない。
もう、学校行かなかろうが昼夜逆転だろうが不潔にしてようが良いじゃないか。
本人がそれで良いと思っているのなら、それで良いじゃないか…と、認めるまでに何年もかかっている。
そのうち、専業主婦である私の方が、部屋の片付けや掃除もできない、ご飯も作れない、何なら風呂にも入れず、歯も何日も磨けてない…ということに気づいた。
部屋着や下着にも穴が開き、臭くなっても何日も着続けている。
何なら、お風呂に入るとシャンプーも減っちゃってすぐ買わないとならなくなるし、洗濯物も増えて大変になるから、なるべくなら風呂に入りたくないとまで思うようになる始末。
まぁもしかしたらこれを一般的には鬱というのかもしれないけれど、不登校でやる気の無い子どもと一緒だな…と思った。
私は、言うことをきかないと殴る蹴るされる親に育てられた為、生きのびる為には親の言うことをきかなければならない状況下にあった為、学校に行かない選択肢なんてものは存在しなかった。
でも、もし学校に行かないという選択肢があることを知っていて、それを選べる状況下に居たなら、もしかしたら学校に行ってなかったかも…と思う。
そしてそんな家庭に居たくなくて、早く家から出たかった私は、ちょっと変わってるけど私の面倒をみてくれそうな、発達障害の今の夫と交際0日婚をした。
そこからどんどん体調が悪くなっていくのだが、そんな自分の中の声は聞こうとせずにフタをして、結婚したなら子ども生まなきゃ、やっぱり2人くらい生まなきゃ…と、子どもが2人生まれて、母親なんだから頑張らなきゃ、誰だって大変な思いしてるんだから…と、がむしゃらに頑張ってきた結果、現在ほとんど一日中、布団の中にいる生活…に至る。
もし子どもの頃から、自分の思いに従って生きてる選択肢を選んでいたら?…少なくとも今、布団の中には居ないだろうなと思う。
しかし勘違いして欲しくないのは、私のこれまでの人生を後悔とかしてる訳では無い。
どんな人生だとしても、全ては私の糧となっているのだろうなと思っているからだ。
何が言いたいのかというと、学校も行かず、風呂にも入らず歯も磨かず、昼夜逆転してる子ども達を見て、私は悩み苦しんでいると思ってたけれど、何もしたくなく、ずっと家でゴロゴロして、布団の中でYouTubeを見ていたいのは、私の方ではないか?ということに気づいた。
本当は、人が苦手でコミュ障なのは、私なのではないか?
本当は、生き生きはつらつとして生きたくないのに、生き生きはつらつとしてなきゃいけないと思い込んでるのは私ではないか?
何かそう思ったら、少し気が楽になった気がした。
そろそろお昼だけど、まだ寝てる子ども達をそのままにして、これから数日ぶりかでシャワー浴び、スーパーに行って、私の食べたいと思うものを買って来ようかと思う。