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幻覚と共に暮らすということ

精神科に入院している患者さんは、
病気の症状として「幻覚」を持っていることがある。


大辞林によると、

幻覚・・・対象のない知覚,すなわち現実にない対象が,
あたかも存在するように知覚されること。
幻聴・幻視・幻味・幻臭・幻触など。

ということになる。

つまり幻覚というものは、ありもしないものが見えたり聞こえたりしてしまうもの。
そんなふうに考えてもらえばいいんじゃないかな。

これって、薬を飲んでれば軽くなることもあるんだけど、
完全になくならないことも多いみたい。
患者さんたちは、多かれ少なかれ、こういった症状と共に
生きていかなきゃいけない。


幻覚が見えている患者さんを客観的に見ていると、
その行動は奇異に見える。

何もないところをじっと見ていたり、誰もいないのに会話をしていたり。
あるいは、攻撃的な言葉が聞こえてきて、パニックになったり。
ときには、食べたものが、石油などの味に感じて吐き出したりする人もいる。


そんなはずないでしょって、知らない人は思うかもしれない。


でも、彼らにしてみれば真剣そのもの。

話しかけてくるから相手にするし、見えて気になるから見るし、
まずくて食べられないと思うから吐き出す。

起こっていることに、素直に反応しているだけ。それだけなんだ。



一度、病棟のスタッフで「幻聴の体験」をしたことがある。

話をする「看護師役」と、幻聴の症状がある「患者役」、
そして、患者役の両脇から幻聴を再現する2人の「幻聴役」の4人で行うもの。

患者役の人は、一生懸命、看護師役の人に話しかけようとする。
幻聴役の人は、患者役の両脇、姿が見えない位置から常に何かを言ってくる。
「死ね」とか「話すな」とか、そう言ったネガティブな言葉を連発するのだ。

そういう形で、「幻聴の体験」は行われた。

患者役になった私は、目の前の看護師役の人と話そうとするけれど、両耳に入ってくる幻聴のせいで、集中して会話ができなかった。


私が行った体験は、わずか数分程度。
でも、患者さんはもっと長い間、幻覚に苛まれている。
ひどいときは、1日24時間、ずっとだ。

そんな状態で、果たしてまともに生きていくことができるだろうか?

私だったら、きっとできない。
患者さんだって1人じゃそのつらい状況と闘えないから、入院したり通院したりするのだ。


幻覚は、薬などで治療すれば軽くしていくことはできる。
でも、完全になくすことは難しい。
つまり患者さんは、そのつらい状況とどうにかして共存していかなくちゃいけない。

これは幻覚なんだと、自分で認識することができるか。
幻覚があっても、それに振り回されずに生活していくことができるか。

それが、社会生活を営む上での、大きな大きなハードル。

幻覚と共に暮らそうとしている人は、決して変な人なんかではない。
彼らなりに日々、一生懸命に生きている。
目の前の困難に、立ち向かっているんだ。


そんなハードな生活が、幻覚と共に暮らすということなんだと、知って欲しいと思う。


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