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娘の出産記録

娘の出産の記録を書きました。

少しでも、誰かの出産の参考?や力になれたら嬉しいです。

長くなってしまったので、目次をつけています。

異変は突然に!

娘は、おなかの中でとっても元気に動く子でした。

ひゃっくりは1日に数回もあり、またしゃっくりしてるよ〜なんて、よく話していたものです。

それまでにマイナートラブルは初期の吐き悪阻だけで、安定期に入った時はケロッとしていました。

体重増加に気をつけながら、少しだけウォーキングをしたり、夫と子供の話をしながら穏やかに過ごしていました。

そんな中、じわじわと変化を感じ始めたのは、仕事が産休に入ったタイミングでした。

今まで食べていた物が胸焼けして食べられなくなり、階段を登る時に息切れが酷くなる。

特に揚げ物やカレーライスは胃がむかつき、食べれたものではありませんでした。
(大好物なので、色々と辛かったです(笑))

常に眠く、ぼーっと過ごすことが増えたせいかはっと気づいたら一日が終わっていました。

とにかく、胃のむかつきが凄かったので、早く産みたいという気持ちがとても強くなってきた頃、それは起こりました。

「あれ……なんか足が浮腫んでる??」

私は今まで、浮腫んだことがそんなにありませんでしたが、誰が見ても足がパンパンで膨れているのが分かるくらい、ものすごく浮腫んでいました。
歩くと赤くなり、痛みを感じ、ろくに動けない状態。
それまでちょっとしたトラブルしか経験してこなかった私は、これはちょっと……と思い、本来予定してなかった里帰りをすることにしたのです。

急な転院で疲労困憊

実家に里帰りする当日。

その日は37週の妊婦健診の日でした。

相変わらず浮腫んだ足で痛みを感じながらも、実母に産院まで送ってもらい、検尿とNSTを終え、先生に診察してもらった時でした。

「血圧と尿蛋白が高いですね。紹介状を書きます。」

えっ……と戸惑いました。それまで血圧も、尿蛋白も何も言われたことがなかったので、一気に不安な気持ちが押し寄せてきました。

「先生、紹介状ということは、ここで産めないんですか?」
「ここではもう、出産できません。はい、これで診察は終わりです。頑張ってくださいね。」

言われたままに紹介状を持ち、実母がまた迎えに来てくれたので、転院になったこと、
血圧と尿蛋白が高いことを話しました。

そのまま転院先の病院に行き、採血と検尿を行い、またNSTを行いました。

その時初めて、内診の痛さを痛感(笑)

一気に診察が嫌になった瞬間でした。

検査結果を聞くと、血圧が高いため、妊娠高血圧症候群の可能性が高いこと、その週に出産の兆候がなければ促進剤で出産を進めることを言われました。

自宅で血圧を測定し、規定値がオーバーしたら来るように、と言われ実家に戻りました。
(実家は同じ市内だったのでとても助かりました。)

破水疑惑?からの入院

その日の夜、里帰りのため実家に到着後、入院に必要なものを確認し、実母に足りないものを代理で買ってきてもらってふぅと一息着きました。

その時に血圧計で測ると、規定値より少し下。

ゆっくり横になって休もうか、と実母と話していた時でした。

バシャッという感覚が。

焦ってトイレに駆け込み、これはもしや破水!?とパニックに。

そこからは急いで、病院に電話しました。

「入院の荷物、全て持って来てください。」

看護師さんからそう言われた私は、昼間に訪れた病院に逆戻り。

バタバタとたくさんの荷物とともに、病院に向かいながらなんだか今日産まれるんじゃないか?軽い気持ちで考えていました。

病院に着いて、たくさんの荷物とともに待合室で待機。

先生が来て、また内診。

あー痛いのやだよ……と心の中で泣きながら診察結果を聞くと、

「破水はしてないですが、血圧が高いですね。

恐らく妊娠高血圧腎症かもしれないので促進剤を始めましょう。」

まさかまさかの促進剤が始まることに。

私は、もしかしたら今日、もしくは明日、やっと娘に会えるのでは?と有頂天になり、お願いします!と声高らかにお願いしました(笑)

お腹の中で大事に育んできた娘にやっと会えると思うと、浮腫んでいた足も何もかもどうでも良くなったのを覚えています。

しかし、聞きなれない言葉を言われ、不安に思ったのもあったので、すぐさまスマフォで検索。

すると、

旧来より妊娠中毒症として呼ばれてきたが、「妊娠高血圧症候群」と名称が変更された。
本症の病態の基本は血管の攣縮である。血管の攣縮によって腎血流が低下すれば、高血圧、蛋白尿、浮腫をおこす。

まさに自分の症状の通り。

実は、私を産んだ時も母がなっていました。

その当時は、吸引分娩になったと聞いていたので、自分もそうなるのかな。と頭の片隅で思って、まあ、大丈夫だろうと気楽に構えていました。

遂に促進剤 1日目

前処置として、ラミナリアという、子宮口を広げる棒を入れることに。

ドキドキしながら、先生が処置をしてくれるのを待ち、痛いのかな……?と思い終わるのを待ちました。

7本入れたらしいのですが、構えていた痛みもそこまで酷くなく、食べ損ねた夕飯を売店まで買いに行きました(笑)

陣痛室で様子見で待機。

そこからはウトウトとしていましたが、気づいたら寝ていたようでチクッとした腰痛を感じ起きました。

時計を見ると夜中の3時。

あー、まだ朝じゃないのか、と思いつつ巡回に来てくれた看護師さんに腰が痛いと伝えると暖かいタオルを当ててくれました。

これが本当に効く(笑)
この後もこのタオルは大活躍してくれました。

次に目覚めたのは朝の五時。

別の妊婦さんが陣痛室に入ってきたので、個室の陣痛室が空いているから移ろうと、看護師さん提案してくれたので、そちらに移ることに。

促進剤の点滴の準備も始まって、緊張感が高まりました。

その時の血圧は160台。

その時の私はまだまだ余裕がありました。

思ったより痛くないなぁ、陣痛あんまり痛くない人もいるらしいし……。ととても呑気に考えていました。

朝ごはんを食べ、出産着に着替え促進剤スタート。

テレビもなく、血圧が高いため、カーテンを閉め切った薄暗い部屋で1人ぼーっとしました。

ウトウトと寝たり少しお腹が痛いなぁくらいでした。

私がいた個室陣痛室の前が沐浴室で、赤ちゃんのお風呂に入る泣き声が響き渡り、熟睡はできず。

それでも娘が産まれたら、あそこで沐浴の練習するんだろうなぁ〜早くやりたいなぁ〜とそればかり考えていました。

痛みが酷くなったのはお昼前。

腰痛が酷く背骨を突き上げる感覚が酷くなってきて、わーこれが陣痛か!と少し感動してました(笑)

それでもお昼ご飯を食べれるくらいの余力が残っていました。

お昼を食べ終えると先生が診察に。

結果は子宮口がそこまで広がってないので、今日はもうやめて明日また挑戦しようとの事。

えっ、今日は産まれないの!?とびっくりしながらも、痛みから開放されると思い、とてもほっとしました。

夕飯はカレーライスが出ました。

大好きなカレーライス。

胃もたれするからあまり食べれなかったのですが、口に運んでから何故か涙が止まらなくなりました。

その時に、あ〜、1人ってこんなに寂しいんだ。

誰もいないお産ってこんなに辛いんだと、つくづく思いました。

そうして促進剤1日目が終わったのです。

促進剤 2日目

夜中何度か起きましたが、思ったよりも寝れました。

採血をしてからの朝ごはんなのですが、この採血の量が半端ない(笑)

8個くらいの小さな瓶を毎回取っていくので、それがのちのち苦痛になります。

その日は朝ごはんの前に診察になりました。

そして私を絶望に落とす一言が。

「子宮口が萎んでますね。バルーンを入れて促進剤にしましょう。」

バルーンも促進剤の前処置に使われるものらしく……、

まさかの振り出し?に戻ったのです。

えっ、あんなに痛かったのにまた最初から???

嘘でしょ……と、頑張ろうという気持ちがぐっと下がりました。

先生、振り出しに戻ったんですか?と聞いた私に、

「確実に進んでますよ。だけど高血圧だから、早く産めるように頑張りましょう。」

その一言を信じようと思い、今日産むぞ!と気を持ち直しをして始まった2日目。

その日は陣痛が強くなり、会話も出来ないくらいに。

お昼頃バルーンは抜けましたが、促進剤の痛みが、人生で経験したことの無いくらい強い痛みになってました。

工事のアスファルトを削る機械で、腰を突き上げられているような痛みで、ずっと叫んでいたのを覚えています。

途中から心細くて涙が止まらず、早く産まれろ早く産まれろ、と呪文のように唱えていました。

しかし、娘は一切、頭も降りてこず。

夕方の診察で、その日も促進剤を打ち切り、また明日促進剤を打つことになりました。

陣痛の痛い時に看護師さんが付き添ってくれるわけでもなかったので、ずっと1人で耐えていました。

ずっと陣痛にたえ、緊張していた反動か、夜は涙が止まりませんでした。

静かに泣いていると、隣の陣痛室から泣き声が。

その人は痛みのあまり、電話で旦那さんを病院に呼んでいたようでした。

でも、コロナ禍では面会も立会い出産も禁止。

看護師さんに宥められ、諭されている声がずっと続いて、あぁ、私だけじゃないんだ。

みんな1人で戦っているんだと感じ、隣の人が頑張ってるんだから、私も頑張ろうという気持ちになり、何とか持ち直すことができました。

促進剤を打ち切ったからか、陣痛も収まり。

その日の夜もすっと寝れたのが唯一の救いでした。

促進剤 3日目

泣いていた隣の方は夜中のうちに出産したようで、たまたま目が覚めた時に、おめでとうございます、という声が遠くから聞こえました。

私も早く産みたいなぁ……と考えながら、浅い眠りを繰り返していました。

3日目の朝の診察時、またバルーンを入れると言われ、

「先生……本当に進んでるんですか?挫けそうです……。」

と思わず言ってしまいました。

「痙攣発作の予防の点滴と促進剤は反対の作用があるので、上手く進んでないですが、少しずつ進んでいますよ。今日も頑張りましょうね。」

そう言われ始まった3日目。

もう気持ちは最底辺。

また痛いのが始まるんだ。

なんでみんなは出産できて私はずっと陣痛なの……?とそればかり考えて痛みに耐えていました。

気分が沈んでいるのを感じた看護師さんが、お経のような曲をかけて出ていきました。

これがなんとも不思議な音楽で(笑)

涙を流しながらなんでこの曲?とずっと考えて、痛みをやり過ごしました。

確実に強くなっている陣痛に、巡回の看護師さんに堪らず、今どのくらい開いているか見てください!と叫んで見てもらいましたが、子宮口の開きは進んでおらず。

その日も結果、促進剤を打ち切ることになりました。

もう帰りたくて、帰りたくて、溜まりませんでした。

本当にコロナを恨みました。

それがなかったら、夫や実母のサポートがあって、誰かと会話ができて、腰をずっとさすってもらうことが出来たのに……と。

涙が止まりませんでした。

そうして3日目が終わりました。

促進剤 4日目

夜中に入ってきた妊婦さんが、とても辛そうな声で耐えていたのが夢にも出て魘されて、全く眠れていなかった4日目の朝。

その日はバルーンなしの促進剤のみでスタートになりました。

「昨日よりも痛い感覚ありますか?」

と先生に聞かれましたが、そんな度合い分からないよ!と心の中で突っ込むくらいにはメンタルは回復していました(笑)

こんなに促進剤を入れて娘は大丈夫なのか、と先生に伺うと、娘は全く問題なし。

私の身体が持つか……と言われた時に、この出産でもしかしたら死んでしまうのかも?とうっすら思い始めました。

そんな不安な気持ちをかき消し、よし、今日頑張って産むんだ!と気持ちを入れ替え始まった4日目。

促進剤が入ってから、陣痛の痛みが、今まで感じていたものよりも倍になったのを感じました。

痛みが凄すぎて、ナースコール。

泣きながら1人にしないでください。お願いします!!!と叫んで頼み込み、助産師さんが1人、付き添ってくれることになりました。

お昼の配膳があったのですが、痛みで食べられず。

とりあえず水だけ飲んで、痛みに耐えていたその時。

ぐぅーっと強い痛みが走った瞬間に、破水したのがわかりました。

付き添いの助産師さんが、

「破水したね!赤ちゃん、降りてきてるよ!もうすぐだよ!」

そう言ってくれたので、あぁ、良かった。もうすぐこの痛みも終わる!ととても嬉しかったです。

破水した時間が14時近くでした。

ついに出産の時

そこからは、出産の準備が本格的に始まり機械が沢山入ってきてつけられたのを痛みの中で覚えています。

付き添いの助産師さんが少し離れると言って、1人になった瞬間にそれは起こりました。

ガクンっと顔が痙攣し始めたのです。

あれ?なんかおかしい?私震えてる??

そう思いましたが、痛みと1人になった孤独が辛すぎて、ひとりにしないで……と弱々しく叫んでから声が出なくなりました。

陣痛の波が治まった間、ずっと顔が震えていて、そのうち意識が遠のき始めました。

あー、ダメだ、私ここで死んじゃうんだ。

ナースコールしたくてもとても出来なくて、早く助産師さん戻ってきて……と思っていたら、付き添いっていてくれた方とは違う助産師さんが部屋に入ってきたので、ほっとした瞬間。

ゲボっと吐いてしまいました。

次に先程から感じていた痙攣が強くなり、全身の震えが止まらなくなりました。

それを見た助産師さんが部屋を飛び出して行くのが見えて、一瞬意識が飛びました。

気がつくと、周りにたくさんの人が。

先生呼んで!!と叫んでいる看護師さんの声と、分かりますか?手を握ってください!と叫ばれていたので、手を握り、反応を示すと、先生が飛び込んできて、

「分娩室行こう。目をタオルで隠して!」

と言っているのが聞こえました。

その間にも陣痛の痛みが来ます。

痛みが来ている時だけ、意識が戻り、ふー、ふー、と息を吐き続けていました。

痛みが収まると、意識が遠のき始め、痙攣が始まるの繰り返し。

また気がつくと分娩台の上に乗っていて、ここはどこ?と思うと同時に、走馬灯が走りました。

夫の顔が浮かんで、実母の顔が浮かんで……怖くてたまらなくなりました。

「先生、私死んじゃう??」

隣にいた女性の先生に小声で聞きました。

死にたくないです。とも言いました。

「大丈夫、もう、赤ちゃんに会えるから。手を握っていてね。」

近くで血圧を図る機会がけたたましく音を立てていたのをすごく覚えています。

いやだ、死にたくない。そう思っていたら強い強い痛みが来ました。

「先生、いきんでいいですか!?もう産みたいです!」

咄嗟に口から出ていました。

いいよ!と言われたので、1度だけ強くいきみました。

そこから、また少し意識が飛んで気がついたら、おめでとうございます!と言われていて、娘が隣にやってきていました。

ああ、産めた!産んだんだ!良かった!

娘を見た瞬間、私も、娘も生きてる!呼吸してる!良かった!と。

すぐに娘と引き離されて、ぼーっとしていると症状が落ち着いてきて、そこでやっと自分が酸素マスクしているのに気が付きました。

手を見ると血だらけ。

看護師さんが焦って点滴の場所が上手く取れなかったとあとから聞きました。

痙攣も何もかも治まり、あれはなんだったのか?と思うくらい、回復しました。

会陰切開もしていたらしく、気がついたら縫われていて、本当に産んだ瞬間のことを何も覚えていなかったことに気が付きました。

それだけ大変だったんだなぁと今思えば感じることができます。

分娩は鉗子分娩となりました。

分娩室に移ってから、1時間で出産しました。

それだけ切羽詰まった状態だったのです。

無事に娘が産まれ、私も生きていることは、とても奇跡に近い事なんだなぁと、改めて先生や看護師さんに感謝しました。

コロナ禍で出産される方へ

不安でたまらない日々を送っていると思います。

未だに立会い出産、面会禁止のところも多いこの世の中で赤ちゃんが産まれてくることがどれだけ大変なのか。

そしてどれだけお母さんが心細いのか、思うだけで胸が痛いです。

頑張って、とは安易に言えません。

でも、少しでも気が楽になれるよう、こんな状態で出産した私の経験が、同じような状態の人にとって参考になればいいなと思います。

私の身体の経過は、至って健康です。

産後についても別に書きたいと思いますが、病院の先生や助産師さんのおかげで後遺症も何もありません。

1人で心細いと思いますが、病院の先生や助産師さん、看護師さんがついています。

元気な赤ちゃんと、笑顔で会えますように。

2020.10.10

#出産 #出産記録 #妊娠高血圧症候群 #鉗子分娩 #コロナ禍

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