さいきん、さみしい、の感情に埋もれております。 一人でいることが好きなので さみしい、という感情はあまり持ち合わせていなかったのになあ と思ったけれど いや、そうでなくて、 さみしがりやすぎて、 さみしい、の感情に蓋をしてただけなんだ、 ときづく深夜2時。←はよねろ もともと感受性の鬼で 若い頃はご高齢の方は直視できなかった。 人生がぐわーっとすけてみえるようで さみしくて悲しくて苦しくなっちゃう。 そんなんだと社会生活送れませんからね、 街も歩けま
セラピストのYさんへのメッセージ。 チャンネルを変える。 語尾に思いがあるようで、メモしておこうと思って、チャンネルを…と書いたところでなかなか手が動かない。 チャンネルを変えろ、ではない。 変えよう、で一度呼吸。 しばし時間を置き、忘れ、チャンネルを変える、で落ち着く。 そこで落ち着くと、早く伝えろ、早く伝えろ、の猛ラッシュ。 Yさんにはいろんなことを伝えたい人(人じゃないかな…)が多いようで、メッセージ受け取りたい、と言われてから、すごい情報量。 めまいが
たいへんだ。たいへんなことになってきた。 大人になる過程で身につけた 曖昧にするとか、空気を読むとか、オブラートに包むとか、お世辞を言うとか、適当な相槌を打つとか、芯を食わない話をするとか そういうことができなくなってしまっていることに気づいたよ。 無意識にできるようになっていたことが、意識しないとできなくなっている。 意識的に言うことはできるけど、自分がにごる気がするから言いたくない。 本当の言葉だけ心地よく言える。 これが自分の純度を上げるということなのかな
ここ数日、ざわざわしています。 自分自身のざわつきだと思ってたけど、違うかも。 何かあって瞬発的に浮上しても、おりてきた場所はずーっとざわざわしてる。
ときどき受け取るメッセージ。 自分に対してのことがほとんどだけど、まれに他人に対してのものも受け取ることがある。 夫には伝えてる。忘れなければ。夫は精神的にタフだから気兼ねなく伝えられる。 そのほかの家族や知り合いの人たちには、何度も何度も聞こえるときは伝える。どうしても伝えてほしい、伝えたほうがいいメッセージだから。 伝えるときは、できるだけシンプルに、聞こえたままを伝える。そうすると、受け取り手が勝手に解釈してくれることがほとんど。 逆に私が解釈を加えてしまうと
齢43にして、2020年12月30日、ようやく分離を実感する。 母の言動に対して、モヤモヤイライラし続けてきた。ここ5年ほどは特に。母に対してじゃなくて、自分自身になんだろうけど、そのイヤな感情をどうしても片付けられずにいた。負の感情に覆われてしまうから、距離をおいたこともあった。 でも、やはり私は母が好きだし、お互いに今与えられた命に限りがある以上、同じ時間や喜びを共有したいと思う。だから、もがいていたんだと思う。 そんなもがく自分が当たり前になっていたときに、霊視鑑
今日は、ここ最近、ずっと感じてきた「さみしさ」の空気感が色濃くなっています。 宇宙的さみしさ感、今日がピークかもしれない。そんな感じがするけど、よくわからない。 風の時代という言葉はよく聞いて、その中身をちらっと聞くとうわーたのしそう、と思うけれども、それがなんなのかはよくわからない。 ただ、1週間ぐらい前からなのかな、さみしい、という感情が押し寄せていて。それは私自身のものというよりは、宇宙全体の空気感で。これまでのもろもろにお別れの季節なんだということを感じています