余韻に浸れ
ポッカリと胸に穴が空いたような感じ。
6月、ひとんちのかぞくを刊行。
その前後で、ネバマへの出展を決めて、
もう一冊もせっせと作りながら、
イラストレーターさんと打ち合わせしてシールを作ったり、
お見せづくりに必要なアイテムを揃えたり、
売れた本を発送したり、
発送の際にお手紙を書いたり。
それはそれは、忙しくも楽しい日々だった。
ありがたいことに、毎月本は売れ続け、
今日もこれを書く前後で発送作業は続いてる。
あぁでも。と思う。
ネバマが終わってしまって、そこに照準を合わせて頑張ってきた日々に区切りがついて、
それはしかも、ものすごく楽しかった二日間と言う形で幕を閉じて。
ポッカリ空いた心の穴に、指を突っ込んでみたり、のぞいてみたりしながら、
ただただ、日々を過ごしてる。
やらなきゃいけないことはたくさんあって、
確定申告の準備も、やらなきゃいけないのだ。わかってる。
シーツも夏から冬へチェンジしたいし、
散歩やウォーキングも再開したい。
読みたい本は溜まっていく一方だし、
推し活だってやりたいし。
Netflixで地面師やら、極悪女王やら、ボーイフレンドやら、みんながワーキャー言ってるやつもみたいんだ。
だけど、起き上がって、何か新しいことをし始める気力がない。
昨日そのことを先輩に話したら、
「武道館ライブを終えたアーティストみたいなこと言うじゃん」
といわれて、笑った。ほんとだ。生意気すぎる。恥ずかしい。
「ネバマ終わっちゃって〜次は何を目標にしていけばいいかわかんないくらい、大きな充実感です〜」
なんて言ったけど、何言ってんだ。訂正しろ。もっと頑張れ。
まぁでも、事実だ。
すごい充実感のあとにやってくるのは、ひどい喪失感で、あとは不安とか、あれで良かったんだろうか?みたいな感情もグワンとやってくる。
特に、新刊を発売して間もないのだけど、
ほとんど書き下ろした文章ばかりなので、
みんなが楽しんでくれているだろうか。ガッカリしてないだろうか。
みたいな気持ちも急に襲う。
それに加えて、
あの時、もっと私がお金を払えば良かったんじゃないだろうか?みたいな、ものすごい過去のランチの時の失態や、
そういえば、あの人私にあんなことを言って失礼だったな。
みたいな、途方もない怒りとかがやってきて、
それが、私をより一層沈ませる。
心に空いた穴に指でも突っ込んでおけばいいものを、わざわざその穴に、恐ろしい感情を入れたりして、悶々と過ごしたりする。
何これ。何なの。
と、思いながら今週過ごしていたんだけど、
これは、多分、言葉にすると“疲れ”だ。
本を作ったことも、2冊目を作ったことも、グッズを作ったことも、ネバマに出たことも、振り返ったりする間も無く、次へ次へ次へ!と進んで、
それが急に終わってしまったことで
“何もしていない自分”に焦りを感じて、
急に不安になっているんだ。
まずは疲れてるんだから、休め自分。
休むことへの勿体なさを、感じなくていい。
スマホをロッカーにでも預けて、絶対見れないようにして、休んだらいい。
その間で、楽しかったこと、嬉しかったこと、きてくれた人の顔、話したこと、反芻しながら、じっくりと味わったらいい。
その時に感じる幸福も、眠るときにやってくる不安も、ひっくるめて、全部余韻だ。
次へ次へ、と何かで埋めず、
しっかり、余韻を楽しめるようになりたい。
…そうは言っても、これから私を待ち受けてるのは、小学校での懇談だ。
かぁぁぁ日常!いつ余韻に浸れるの!!!
まぁでも、家族のことを書いた私は、家族と過ごすことでたくさん癒されたり、幸福を感じたりして、少しずつ復活できるのだろう。
ほんで、また、少し元気になったら、
「書いてみっか〜」
とか
「作ってみっか〜」
なんて思って、また一からスタートさせるのだ、きっと。
その日まで、何もしてなくても悪じゃない。
むしろ、その日までの毎日にきっと、ヒントがあるはずだ。
疲れたんなら、たまに休んで、余韻に浸って、次に行く。
それを覚えた自分が、次に何を選ぶのだろう。
想像もつかない、その日々も。また楽しんでゆくしか、ないのだ。