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正しさだけじゃ闘えない

なんか、泣けてしまうのは、ただただ疲れているからなのか。

一泊二日の出張から帰ると子供達がニコニコ待っていてくれた。
この二日間の楽しかったことを全部教えようとして、
保育所で作った塗り絵の作品を、
ママにあげたくて頑張った!と、手渡してくれた。

ママ美味しいもの食べた?
ママ楽しかった?
ママ阿野さんにあった?
ママお疲れ様!

こんなにたくさんの優しい言葉を、
彼女たちはどこで覚えたのだろう。

私が出張中にどんな風に過ごしてるのか
どんなお仕事をしてるのか
小さな頭と体で、たくさん想像しながら
「ママが楽しければいいなぁ」
と、思ったに違いないコメントが
私の心をほぐす。

わたしは…
私は、仕事はいつでも楽しくて、
私は出張中に娘たちのことも考えたけど
仕事のことも、仕事相手のこともたくさん考えたし
自分のことだってたくさん考えて過ごした。

私はいつだって自己中だ。

「ママが楽しければいいなぁ」
と思って、過ごした娘たちに比べると、
私のやさしさは、優しさになんて認定されない。
彼女たちの半分にも満たない。
優しさも、考えた量も。
こういうことに気づいても、尚、私は私の活動をやめない。

いつか、バチが当たるんじゃないだろうか。



お土産に買ってきた、黄色い恐竜のぬいぐるみを2人に渡すと
2人は、とても喜んだ。

すぐに、2人とも首にリードをつけて、家中を散歩させて、夜はお布団をかけてあげて、一緒に眠った。

なんか、その全てが、私を急に切なくさせたのだ。

恐竜のぬいぐるみは可愛くて、彼女たちは嬉しかったかもしれないけど、
出張に行かず、一緒に過ごしていた方が、彼女たちにとっては、もっともっと、喜ばしいことなのではないか?と思ったりする。

ママ、釧路で何してるかなぁ?と、考える隣にママがいないことが、本当はとっても寂しいのではないか。
考えたところで、私は釧路にいたのだけど。


………


今日も今日とて、仕事をしていて、
後ろ髪をひかれながら、バイバイをした。

バイバイ!ママ、夜には帰るから、ちゃんと寝てるんだよ!
という私に

「ママ、夜、泣いてもいい?」

と、次女が言った。

その言葉に全部詰まってた。
ごめんね。泣いてもいいんだよ。ごめん。
一緒にカレー、食べられると良かったよね。
ごめんね。

………

何が正しいかなんてわかんない。

私は私の人生を生きるし、
彼女たちにも彼女たちの人生を生きてほしい。
私がいつか、バチが当たって、どこかで野垂れ死んだとしても、仕方ない。
好きなことを追い求めて、好きに生きてほしい。
縛らないよ、約束する。

こんなことを書くと、批判もあるかもしれない。
親は子供の隣にいるべきだ、とか
そんな想いをさせてまで仕事に行くなんて最低だとか。
言われても仕方ない。

擁護してくれる人がいることも知ってる。
そういう方は、
ちゃんと、親の背中を見て、子供は育ちますよ、とか言ってくれる。

どれも正しい気がするし、

どれも間違ってる気もするから、

自分が思ったように生きるしかない。
正しいのか正しくないのか、わからないまま模索して、
気がついたら、全部過ぎ去ってしまっているのだろう。
その時、わたしは、何を思うんだろう?



今日は、なんだか、切なくて。
正しさだけじゃ、闘えない。

正しさなんて、なんの武器にも、ならないんだ。

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