気が重い齋藤綾嘉の話しno.4
今回はIQ値についてわたしが常日頃から
意味ねぇって言ってんだろ!
な記事をいくつか紹介とアインシュタイン
(じいさん)について
*齋藤綾嘉は尊敬しているアインシュタインを
じいさんと呼ぶ(わたしの中での愛称)
そして、「研究」とは何か?「罪」とは何か?
人間は人間として人間を守る、助ける為に
「何を必要とするのか?」と言うdarkな部分を
掘り下げて見ようと思います
はぁ...
この話しするたびに毎回鬱!
重い🫠重いなぁ...
何で「こんな事も解らない人間が天才」
になるのかが不思議で堪らないんだよね
大バカ野郎
の間違いじゃないかなぁ??
でも相変わらず、わたしは!わたしは!
と騒いでる人達はいるので好きにすれば
良いと思う
「考えれば誰でも気がつくし、
解るとても簡単な事だよ」
それに気がつけないあなたって可哀想な人
だから孤独になるんだなぁと実感する
アインシュタイン
(じいさんについて)
よって「量子力学」(謎だらけ学問)を否定する
人間はCapacityが狭いとわたしは思っているね
(無いのでは無いからね、勘違いしない様に)
言い換えると「視野が狭い」
人間は視野が非常に狭い、わたしから言わせれば
点でしか無い、しかし物事を導き出す為には360°の視野が必要だと齋藤綾嘉は考える
(+α要素)もね
私が言っているのは視野の話しであり
人間の「視界の範囲」を言っている訳では
無いからね
「目で感知する、視覚情報には限界がある」
しかし、視野(物事、世界を見る力は無限大だ)
それをfullに使い、更に「全ての要素」を
繋いで行かなければ「解る事さえ解らない」
=「思考」考えるとはそう言う事を指す
とわたしは捉えている人間だよ
悪とは?罪とは?命を救うとは?「石井四郎と言う人間」
人間は人間を持ってしか「解らない」
どんなに残虐で非道で悪で罪に思える様な
事も「四郎の発見は非常に貴重であり、
実験をやり直さない限り再現は不可能だ」
これに間違い無いからだ
わたしは、これについて「肯定」したい
訳でも「否定」したい訳でも無い
治験、人体実験、全ての研究過程に置いて
「人間」と密接し関わりがある以上
最終的にあるいは途中、またはその中で
様々な「人間」の本体、細胞、情報など
を「使わない」で完結出来る事は無い
だからこそ「研究」とは常に表裏一体であり
科学者は善であり悪だ
絶望が希望になる様に
希望も絶望になりうる
この「非常に重要な側面を十二分に考慮し」
わたし達人間は自身である「人間」を思考
しなければならない
そう齋藤綾嘉は考える
人間にとって、「何が重要であるか?」を
人間達は「模索し続けているのかも知れない」
齋藤綾嘉は今日も考える
続く