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パレスチナのパン
【あやかんジャーナル 配信16】
アメリカの大学では、NPOなどの支援団体がキャンパスにやってくることがよくあって、学生たちに啓発活動や、寄付金(ドネーション)の呼びかけなどをしている。
活動の内容はたとえば、家庭内で暴力を受けている女性への支援活動(DV被害者がシェルターなどに逃げ込めるように、シェルター運営費の寄付のよびかけ)や、エイズ治療薬の開発費用の寄付を募る活動など、様々だ。
これまでは、アメリカ国内の問題に関しての支援活動が主だったが、私がニューパルツ大学に来てからは、ウクライナ戦争が始まったり、パレスチナ紛争が激化したタイミングも重なって、国際支援の呼びかけも増えた。
啓発活動はちょっとしたパーティー
NPOのスタッフたちは、大学から許可をもらい、教室の中で呼びかけ運動をすることもあれば、サークルの部室にやってきて、そうすることもある。スタッフたちは、支援活動の内容について学生たちにじっくり話を聞いてもらうために、工夫をしてくれる。カラフルなアイシングが塗られたドーナツや、トッピングが多いピッツァなど、美味しい食べ物を持ってきてくれて、教室や部室に並べてくれるのだ。ソーダなどのドリンクも各種用意してくれて、毎回ちょっとしたパーティーのような雰囲気になる。
「みんなで美味しい物でも食べながら、リラックスして聞いてくださいね」と、スタッフたちは言う。
DV被害やエイズのこと、ウクライナ戦争やパレスチナで繰り返される殺戮など、深刻なトピックばかりなのだ。聞いていて突き落とされるような暗い気持ちに、学生たちをなるべくさせないために、せめて場の雰囲気だけは、明るく和やかなものにしよう。NPOのスタッフたちは、そのように考えているのだろう。また、同時に、深刻な物事の中にも、明るい側面が存在することを示そうとする、彼らなりの意図もあるのかもしれない。
ウクライナ支援を呼びかけるパーティーは、興味深かった。
教室に、珍しい皿がたくさん並んでいた。どれもウクライナの料理だと説明を受けた。アメリカの食べ物と似ているけれど、こちらの方が味がもっと繊細で深みがあった。
戦争は終わりが見えず、死者の数も増えていき、多くの国民が精神的に疲弊していると、NPOの人たちは話していた。ウクライナには、ここに並べられた料理のような、伝統も文化もある。彼らの日常を戦争によって壊してはいけないのだと、真摯な口調で語る彼らの言葉には重みがあった。
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じゃがいもの素材の味が生きていた。真ん中にのったサワークリームとの相性も抜群。
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アメリカのものよりも、さっぱりしていて食べやすく、
それでいて、にんにくの風味がしっかり楽しめる。
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英語でhoney cakeと書くと、とても甘そうなイメージになるけれど、
ウクライナのこれは、不思議な「深み」を感じる味だった。やみつきになる美味しさ。
ウクライナの現状といっても、ただ話だけを聞くのと、実際にわずかでも彼らの食文化に触れながら聞くのとでは、同じ話の内容でも親近感の度合いがぐっと高くなる。アメリカの料理と似ていて、日本人の口にも合う物を食べている彼らが、今、どんな気持ちで毎日を過ごしているのだろうと、想像してみた。
あたりまえだった日常が、ミサイルによって壊される。もしも自分の身にそんなことが起きたら、どれだけ不安になるだろう。自分が育った街や、今住んでいる町、そのすべてが次々に破壊されたら、どんな気持ちになるだろう。蜂蜜のケーキを一緒に食べていた友達が、ある日突然、いなくなってしまったら……。
とてもありきたりな言葉だけれど、一日も早く戦争の終わりが見えてほしいと、願わずにはいられない。
パレスチナのパン
私はニューパルツでこうした支援活動のパーティーに、顔を出すことが多い。学生なので、多額の寄付はできない。5ドル、10ドル、少ない時には1ドルしか寄付できない時もある。しかしNPOの人たちも、収入のない学生から高額なドネーションを貰おうとは、最初から考えていないのだ。重要なのは啓発活動。若いうちから、世界と自分がつながっていることを感じてもらい、国際的な広い視野を持った大人になってもらおう、というのが彼らの活動意義のひとつだ。
ある日、大学にパレスチナの支援団体がやってきた。
その日の教室は、なんだか様子が違った。
イスラム教徒らしいヒジャブなどの民族衣装に身を包んだ女性たちが5人、黒板の前にずらりと並び、支援内容について語り始めた。これまでのNPOの人たちとは、顔が違っていた。沈鬱な表情を頬に張りつけたまま、わずかに微笑むこともなく、支援をお願いしますと訴えた。声に必死さが滲んでいた。涙を流している人もいた。
教室の机には、いつものように、美味しそうな料理やドリンクはなかった。
ただ、切ったパンが入ったバスケットが2つ置いてあるだけだった。みなさんで食べてください、という意味なのだと分かった。飲み物はなかった。
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黒板の前に立つ5人の女性たちは、真剣に語り続けた。
私たちはパレスチナが置かれた状況について、70年前から現在に至るまでの説明を、彼女たちから受けた。話はとても分かりやすく、そのあまりの分かりやすさから、彼女たちは70年前を昨日のように生きているのだと感じた。70年前の延長に今日があり、昔からの苦境が変わらず今も続いている。
彼女たちはいったいどんな気持ちで、アメリカ人の学生たちに、寄付をしてほしいと、頼みに来たのだろう?
Z世代と呼ばれるアメリカの若い人には、パレスチナを助けたいと思っている人も多い。教室にいた学生たちが次々に、財布を開くと、5ドル札や10ドル札を取り出して机に置いた。
彼女たちは、ありがとうと言いながら、受け取った紙幣をそろえて輪ゴムでとめていた。みんなもう何年も笑ったことがないような、硬く重い表情をしていた。しかし目の奥ではちゃんと会話ができている気がした。
私はなんと声をかけていいか分からず、黙って5ドル札を手渡した。手渡す時に、互いにしっかり見つめ合った。私も彼女も、瞳の色は黒かった。
結局、バスケットの中のパンには、誰も手をつけなかった。
ドリンクもジャムもなしに、乾いたパンだけを食べるのが嫌だったからではない。
きっと彼女たちにとっては、このパンを持ってくることさえ、大変だったに違いない。
そんなふうに想像すると、気安く食べてはいけないと、気が引けたのだ。
Z世代のアメリカの若者には、パレスチナを応援したいと願っている人も多い。
70年は長いけれども、時代は確実に変わってきている。