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母という”役割”ではなく母という”生き方”
今日は母の日。早く寝ようと思い床に就いたものの、母を想い、母が教えてくれたことに考えが巡ってしまい、はっとしたので日記に書いてみることにした。滑り込み、母の日の日記。
わたしたちの母は「自分の人生は自分で楽しんでね」というのが口癖で、小さい頃から自分の意志で人生を選択することが一番だと教えてくれた。それはとても素敵なことだと思っていて、自分自身でもそれがどういうことなのかということを何度も考えながら生きてきた。
どんな家族観の中で育ったかは、もし興味があればこの記事を読んでもらうのがよさそう。
その母がわたしたちに教えてくれた「自分の意志をもって生きること」というのは、もしかしたら自分が考えていたことよりもっと深い意味があったのかもしれない、と寝る前にふとおもった。
「自分の意志をもって生きること」というのは色んな面でとても自立しているイメージがある。だけど少しずつ大人になってきて分かることは、自分だけで自立することなんてできないってこと。
小さい頃からずっと、今までは自分の人生のために、自分の意志であらゆることを選択してきた。
だけど、生きるということは、誰かと共に生きるということで。母はわたしたちに、共に生きる人を自分の意志で選んで、その人たちのために尽くして生きるという意志をもてる人になってね。と教えてくれていたのかもしれないと思った。それが人として生きていく上で何よりの力になるから。
「自分の意志をもって生きること」は思い通りに生きることできっとはない。そしてそれが自分を犠牲にすることでも決してない。
母だってひとりの人として、わたちたちと共に生きるということを自分の意志で選んでくれて、わたしたちに尽くしてくれた。そう考えると、母というのは”役割”ではなく”生き方”なのかもしれないと思った。
今まさに地球がひっくり返りそうで多くの人が混乱しているような毎日だって、世界中のお母さんにとっては日常のようなものかもしれない。
毎日思い通りにならないわたしたち子どもに向き合って、受け止めて愛して諦めずに育ててくれて。どれだけ楽しそうに生きているお母さんであっても、きっとその過程でわたしたちのために自分が変化することを自分の意志として選んできてくれたんだと思う。そしてそれをお母さんは幸せという。そんな母という生き方から、今だからこそ学ぶことがたくさんある。
やっぱり母という生き方はわたしが世界一憧れる生き方だ。どうか世界中のお母さんに多くの愛が届いてますように。
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