仏、教師殺害テロ、日本での誤解
フランスの学校の先生が、18歳の若者に殺害されました。
その理由は、「先生が授業でムハンマドの風刺画を生徒に見せた」というもの。
フランスのニュースでは、この歴史の先生は「これから風刺画を見せるが、見たくない生徒は目を伏せて見なくていい」と説明していたそうです。
こう聞くと、ものすごく配慮のある良い先生だと思う。
フランスで起きた惨事を、授業の中で紹介して議論するということを、生徒個人の宗教も配慮した上でやったわけです。
ところが、それが自分たちの宗教をバカにしている、批判している、許されないことだ、という人が複数でてきて、一人の先生を殺す事件になってしまいました。
日本的な考え方だと、「人の嫌がることをやって、その反感をかうのは当然」、となるかもしれません。
だから、先生が悪いことした=(もちろん殺人はひどいが)しょうがない出来事。
と思われている節があるんでないかと。
でも、フランスに住んでみてから知ったのですが、『ライシテ』と呼ばれる概念があって、ざっくりいうと、「公立学校の中では、宗教的な縛りはない」という中立的なものがあると知りました。→うまく説明できている自信がないですが。
(この関連で、学校に自分の宗教に沿った服装でくることは問題になったりということも、社会問題になったりすることもありました)
これって、私は素晴らしいな。と、フランスに惚れる理由のひとつであります。
ともかく、なにが言いたいかというと、
今回の事件は、シャーリーエブドよりもショッキングな出来事だということ。
学校の中で、フランスの歴史の一部を伝えるだけで、先生が一部の狂気者たちによって殺されてしまう、という異常。
フランスの先生は、これまでフランスで起きた事実を教えることがろくにできなくなってしまうのではないか? という心配です。
フランスに住んでいる、移民者の中には、フランスに住む「権利」をはき違えた人が結構います。フランスに住むからには、フランスという国のルールを守ってこそ、この国に生きる権利がもらえると私は思っているのですが。
それが嫌なら、フランスに住まなきゃ良い。
実際、パリの満員バスの中で、交通ストに文句をブツブツ言っている外国人マダムに、フランス人マダムが、
「それがいやなら、フランスから出て行きなさいな」と、さらりと諭していたのを目撃したこともあります。さすが。
ものごとを、時には宗教を批判したり、自分の言いたい事を表現する。これは絶対に守られるべき権利だ。
というのは、ものすごくフランス的で、日本人にはかなり理解しがたい考え方かもしれません。
でも私は、周りの空気をよんだり、忖度して、自分の思っていることを言えない、というのにうんざりしている日本人なので、こうしたフランス人の考え方は、全部理解できてないかもしれませんが、惚れています。
それこそ、フランス人。
ともかく、なんでこんなまともなフランス人の先生が、一部の狂気者に殺されなきゃ行けないのか? 日本とはまた違う、生きづらさというのがあるのもフランスです。
この話題、根が深いし、背景も色々あって、何が正しくて、何が悪い、なんてことを言えない複雑なフランスの社会問題で、私のごくごく身近なところにも通じる大問題なんですよね。
こんな中途半端な知識で、この話題について書くのはどうかと迷ったけれど、ひとまず、私の中のモヤモヤを書き出しておかせてください。
読んでくれて、ありがとうございました。