私がGAFAに入社するまでの経緯
はじめに
前々回ぐらいに、自己紹介が遅れたと思い需要がないと知りつつも投稿したのですが、意外にも私のブログの投稿記事の中では一番いいね!が多かったので、今回はもう少し自己紹介について深堀りしていきたいと思います。
前々回の、自己紹介記事はこちらからご参照ください。
学生時代
GAFAに入社したとなると、「さぞかし学生時代から優秀だったんだろう」と思われますが、全くそうではありません。学生時代は、すべて公立の学校に進学しましたし、高校の偏差値も54で特別優秀だったわけでもありません。因みに、高校受験は失敗しました。
出身も富山で、都内のような煌びやかな都会で生まれ育った訳でもなく、のんびりとした大自然の中で育ちました。しかも、皆さんとは違い勉強が大変苦手だったため、大学受験を諦めました。正確に言えば、二浪したのですが大学受験には全く身が入らず、親に叱られてばかりだったので、大学進学は諦めて地元の日系企業に就職しました。
一社目
一社目は、地元に日系企業に就職しました。そちらは、IT企業とは全く関係のない製造業で、どうしても入りたかったから入社したというよりは、そちらは第二希望だったのですが、そちらからしか内定が頂けなかったので入社しました。
もちろん、面接では第一希望という風に伝えましたが😂
その会社は製造業だったので、私と同じような高卒の方がほとんどで、大卒の方もいらっしゃいましたが、開発技術部という部署に集中在籍していらっしゃったようです。
運がよかったのか悪かったのか、入社時点で私はTOEIC880点取得していたので、当時の上司(高卒)に目をつけられていました。私は高卒ですし、TOEIC900点は当時なかったので、プライドも何もなかったのですが、高卒の上司からすると年下の女性でTOEICの点数が高いというのが気に入らなかったようです。
その日系企業で英語がある程度であってもわかる人材というのが大変珍しかったらしく、私は人事部で入社4か月目なのにも関わらず、生産技術部の翻訳(英訳)を任されることになりました。内容は、工作機械の取扱説明書や検査書などでした。
初めは技術用語が日本語でもわからなかったので、上司に聞いて回ったりしました。そして、あまりにも技術のことがわからない上司は、私と後輩男性を工場見学に連れて行って下さり、目で工作機械を確認しながら説明を受けるという大変貴重な機会もいただきました。
しかし、人事部長が私の翻訳業務を他部署に発表したところ、経営企画部や海外事業本部からも翻訳業務をアサインされるようになりました。
入社して1年が経過すると、海外事業本部の課長から直々に翻訳業務をアサインされることになりました。初めは、私の実力がどれだけのものなのか分からないので、翻訳の一部を頼まれ、実力を測られることになりました。何とか、海外事業本部の課長を失望させつつも、一度の依頼ではなく定期的なアサインへと繋げることができました。
しかし、それが不運の始まりでした。直属の上司の嫉妬を買ってしまい、猛烈なパワハラが始まりました。陰口、聞えよがしは常套句ですが、それだけでなく大切な翻訳ファイルも削除されてしまいました。これは、会社の法務部に連絡しログを調べてもらった結果で、上司は削除されれたファイルについては知らないと言っていたのですが、当の本人が削除していました。
休職
その他にも先輩達に目をつけられていた私は、集団攻撃に遭い、休職に陥ってしまいました。その頃、おかしいなと思っていたのですが、私はダイエットしていないにも関わらず体重が4キロ程落ちていました。主治医によると、うつ病の症状らしくすぐに休職するための診断書を書いて頂けました。
休職をしてからというもの、精神状態が落ち着かなかったので、体は休めてはいるけど全く心身が休まらないという状況が続きました。上手く言えないのですが、頭の中でテレビの砂嵐がかかっているような状態で、時折会社の人間関係や業務が頭の中を過ぎりました。
それだけでなく、うつ病の症状で蕁麻疹が出てしまいました。皮膚科医の話によると、表面の皮膚にできている間はいいのですが、気管にできてしまうと呼吸困難になるので絶対に会社には出勤しないようにと指示されました。もし復職するなら在宅勤務、在宅勤務がダメなのであれば転職という風にドクターストップがかかってしまいました。
転職活動
私は直ぐに会社を辞めることができず、富山の労働相談センターのような所に何か所も連絡して電話相談しました。どうしても、やりがいのある仕事だたので直ぐに辞めるという決断ができませんでした。しかし、ある労働相談センターの年配の男性に「そんな会社に、貴方の時間や労力をかけるなんて勿体ない!復職や労災なんて考えず、直ぐに辞めなさい!」と一喝され、やっと決心がつきました。
そこからは、怒涛の受験期に入りました。といっても、TOEICという民間試験で、国家資格ではありませんが。毎日8時間ぐらい勉強していました。多い時で13時間は勉強して、うつも少しあるのでフラフラの状態でした。そして、問題集30冊ほど解いてTOEIC985点を取得しました。
もちろん、すぐにGAFAに応募したわけではありません。一度求人をみたことがありましたが、私には無理だなと思い始めから応募しませんでした。しかし、転職活動を3か月程してみても、鳴かず飛ばずとはこの事で、高卒ということもあり書類選考も通らない状態が続きました。
しかし、とある転職エージェントの担当者から「GAFAでとあるチームの応募がかかっているのだが、あやかさん興味あれば、明日までに英語のレジュメ送って下さいね。」と、なんともフランクな口調で電話がきました。『私なんか入れる訳ない』と思ってみましたが、そのポジションがとても面白そうだったので純粋に応募してみました。
GAFAの面接
今でも鮮明に覚えているくらい、大変緊張しました。どれだけ緊張したかというと、前日まで面接の準備や練習をしすぎて頭痛がしていました。オンライン面接だったのですが、もう声が小さくなるし、どもるし、見るに堪えない状態だったと思います。
オンライン面接が終わる度に、私は一人大反省会をしました。もう、一人で自分を責めて近くの公園を2周したり、公園で黒猫を見ただけで自分は落ちたんだと結論付けていました。
大変長くなりましたが、これが私がGAFAに入社した経緯です。「こんな人でGAFA入れた人がいるんだ♪」と興味半分で読んでいただければと思います。長文、失礼いたしました。