怒ることを忘れたわたしたちへ
不機嫌になることが多く、本氣で怒ることは減った。
なぜ人は怒るのだろうか。
怒るってのはきっと本氣だから。
真剣な証拠だ。
怒ることを忘れたわたしたちは、本氣になることも一緒に忘れてしまった。
真剣に感情を使い果たすことを恥じてしまうようになった。
けれど不機嫌なのは未熟だからだ。
こんなのおかしい、そう思ったとき、溢れてくる感情、
それは強い力だから、放つのも受けるのも體力がいる。
だから怒る行為に恐れ、あるいは意味がないと無氣力になったり、我慢したりする。
怒る人を見ておとなげ無いと誰かは言う。
本当のこと言えないやつがおとなげないと思うけど。
怒るとは自分を救う行為だ。
だからそれは他者を救う行為だ。
怒るには余裕が必要だと思う。
けれど心と體に余裕が無くなるほど人は懸命に生きている。
それなのに、何に限りある力を注ぐか、そんなことを真剣に考えていると幾らかの人は笑う。
不機嫌でいることと怒ることは違う。
他者のことを大切に思うことと氣を使うことも違う。
言葉は繊細だから、
注意深く見ていてほしい。
忘れたものを思い出し、恐れを手放せるよう。