疲れた時のハキダメの話
3年生になって極端に授業数が減った。
その代わりとして私は色んなことに手を出したが、その手を出したひとつひとつが魔物のように感じる気がする。1週間の中でやらなければならないこと、その途中に挟まる自分の中でやろうと決めたこと、一つを乗り越えるごとにものすごい体力を使っているように感じた。怖くて次のものに手を出せない。出せなくて、ずるずる現実逃避をして、結局熟考できないまま提出期限が来てしまう。こんなの嫌だ、と思いつつ、弱い自分から抜け出せないでいるのである。
頭の中を整理して、もっと大人になりたい。そうだ、うちの大学には将来について考える授業、みたいなやつがあるのだが、この前提出したやつが比較的よく書けたと思うのでコピペしておこう。
以下本文
私は、空間デザイナーとして職に就きたいと考えている。これは3年生になってコース別の演習課題に取り組む中で思うようになったことである。毎週図書館で空間デザインに関する書籍を借りて、勉強するのが大好きだ。
今はインテリアコースに属しているが、演習課題・ゼミ課題ともに割と良い評価をいただいている。人に伝える力、自由に発想する力が私にはあると感じており、自分の自信にも繋がっている。その一方、周りに比べて最終的な案に辿り着くまでに時間がかかることも自覚している。1ヶ月に1度のペースである成果物の提出までに毎週少しづつ完成に向けて課題が出されるが、そのアイデア出しが極めて遅いのだ。頭の中にあるものを形や言葉にするのに時間がかかってしまう。自分のこの弱点は、先生方にも的確に指摘されており、いとも簡単に見抜かれてしまう。友人は「あなたのすごいところは、やってない と言いつつもちゃんと最終提出では完璧な状態に間に合わせて評価されるところだよ」と言う。でもそれは違うと思う。なんとか提出に間に合わせられるのは、自分の負けず嫌いな性格ゆえであり、そのためには食べる時間も寝る時間も簡単に削れてしまうからだ。体を大事にしない自分が嫌いだ。
〇〇大学の社会人基礎力において、継続的な学修 が私にはできていないと考える。日によって課題に対する熱量があまりにも違うからだ。社会に出ると全てが個人作業ではなく、グループワークや周りの人に合わせながら仕事をするという場面ばかりになるだろう。今は自分のことだけを考えて課題と向き合っているが、そういうわけにはいかない。追い込み型ではなくて、継続的に日々の課題に向き合っていく必要があるだろうと考える。これはあと2年弱の私の大学生活の中で最優先でできるようにならないといけないことであり、それが社会人としての私の生きる力を大きく左右することを自覚しているのだ。
授業があるのは週に4日、登校するのは週に2日。友達に抱きつきに行き、自分のくだらない話を永遠とし、癒しを得て満足げに家に帰る。登校する日=課題を提出する日で苦しい。それでも学校へ休まずに行くのは、実は癒しを求めて日々生きているからなのではないかとまで思うようになってしまった。恋人に求める癒しとはまた少し違った癒し、だ。私は残念ながらネコで癒される人間ではないので、自分がネコになって抱きつきにいくしかないのだ。そういえば21歳になってしまった、子供なのか大人なのか一番はっきりしない年齢なのではないかしら。一生子供でいたいけど、もっと大人の余裕を身につけたいと願う自分もいる。なんだか哀れだな。うまくまとめられないので、また追記します。
ほんの少しだけサブカルに踏み入れてる女なので三パシとか聴いちゃう。
あいつら全員同窓会、歌詞が好きすぎて困った。自分の心の中のぐちゃぐちゃしたやつを音にしたみたいな感じがめっちゃ好き。胸の煙もそういう意味では大好き。