左翼が理詰めで女性の権利を振りかざす
保守が反人道的思想だと詰られる訳
特段牙を向いてくるはフェミニストを支援する左派
保守が掲げる「伝統」というのが女性の自由・権利を抑圧することで成り立っていたものであるとしているため、女性の自由と権利を保障するためにはこれらの家父長主義な構造を破壊することなしには為しえないとする所にあります。
端的に言えば「保守=男尊女卑構造の墨守」ということが強く意識されているというのが問題として横たわっているとも言えます。
韓国の少子化の原因の一つが女性の抑圧に対する抵抗
韓国の少子化が深刻であることは聞かれる話ではあるのですが、その原因の一つとして、儒教の影響の強い保守からの男尊女卑的な社会構造に対する女性の抵抗として出産ボイコットの体を示しているというのが考えられます。
他に婚外子を認めず結婚を前提とした妊娠・出産のありようため、結婚相手で条件のいい男を選べないなら結婚しないという、フェミニストの女性の頭にある「我々こそが合理的に判断できる」というプライドの問題もあるようです。ほかの女性の旦那と見劣りする男を選んで結婚し、見劣りした男の子を産むメリットがどこにもないと考えるでしょうから。
特段ソウル市内で顕著になっているのはこの他に受験競争を筆頭に過酷な競争主義を背景としてそれに勝ち抜くための「教育費の高騰」が重荷になって抑制因子になっているとも言われます。
男尊女卑的な社会構造に対する女性の抵抗というの問題は韓国だけではなく、日本でも当然に生じていることで、地方に横たわる男尊女卑的な空気の残存が原因で女性が地方から東京へと流出を招いているとも言わます。
そのため地方での少子化対策として地方の男性と結婚を推進する政策を立てても、女性差別というふうに左派系のメディアからは報じられる始末です。
それというのも、地方の共同体に横たわる男尊女卑的な風潮が人権意識の高い女性から忌み嫌われていることが地方から女性に逃げられていく原因であるという論調で、背景に「地方の共同体のありよう」が「保守的」であり、保守的であることが「男尊女卑的に固執している」という認識からのものでもあるとも言えます。
日本は韓国の後を追っている
男尊女卑的な風土が原因であることと、SNS文化で他者と比較する傾向が強まったことを背景にして少子化が加速するという流れは、フェミニズム運動の先進国という地位を確立しつつある韓国の後を追うようにして少子化も加速していくと見られます。
女性の自由と権利という否定し難い事由により、一夫一婦制の廃止、托卵を介した婚外子の容認など、女性が如何に「子どもで代理戦争をして勝てる」というインセンティブでもないと出産に応じなくなるのではないかとも思えてきます。
そのため、積極財政派のあたしとしても、少子化の問題を背景に、産むかどうかを決められる女性側の要求を厳しく通そうとするフェミニストの動きに対してどう立ち回るかというのが頭の痛いところでもあります。
あたしとしてはかつて夫婦別姓だったのが必要によって近代になって同姓に変えられたのであれば、また必要に迫られて別姓に戻すというのはやむを得ないところではないかとも考えます。
もっとも大きいのは多様性の確保という点から積極財政と折り合うと考えているためでもあります。多様性を忌む人ほど、「こうあるべき」と画一化を望む傾向があり、これが緊縮財政派にありがちな「選択と集中」という論理に結び付くと懸念しています。
ただあの手合いは家族というもの自体が女性を抑圧しているものとして、これを破壊して個人主義に徹することが女性の自由と権利に利するものだと解しているところについては懐疑的に見ていますけども。
これを日本共産党が与しているということは、「Communist」が「Community」を否定するという事態を由々しき事と見て、離党して外から言及しようと思った次第でもありますが。
保守主義は「女性の敵」と印象付けられた
そうして保守主義は男尊女卑的社会構造の堅持の象徴として女性差別主義と解釈されているため、人道上許されない「女性差別」の一派として見なされるようになってしまったことで厳しい位置づけに追い込まれてしまったというのが大きな問題としてあるのではないかと思われます。
保守が悪いものと言われる訳
私自身も3年前までは共産党の党員であり、筋金入りの左翼だったので言わせてもらいますと、「旧態依然のシステムにしがみ付いて進歩から背を向けるのが保守」だという認識で嫌悪していました。
「漸進的な進歩を肯定している保守」を保守は認めておらず、漸進的であれ進歩のために改革を肯定しているものとして穏健左派と認識しており、基本的に現状維持、あわよくば「(旧体制下を前提に)昔は良かった」という体で旧体制に戻したいのが保守という認識だったし、感情的な面で懐古主義者でしかないとも思っていた。
資本主義の観点ですら改革を怠れば倒産の危機が迫るというのは、フォードが頑なに黒のT型に固執して、新型を出すどころか色違いのT型すら出そうとしなかったヘンリー・フォードの頑なに変化を嫌う姿勢が保守主義の弊害として映っていた。
保守主義者は変化によるアイデンティティの喪失を極端に恐れていたのではないかとも見て取れました。
また、保守主義に立脚すると明治時代の「文明開化」にも批判的である必要があります、それというのも、「文明開化」という言葉自体が、日本文化が野蛮かつ退廃的で、西洋文化が先進的だという認識を前提にしてできた言葉でもあるからです。
それというのも、最近の左派の「西洋出羽守」ぶりが明治の「文明開化」と同様に日本の独自性が野蛮で後進的なので西洋に合わせるべきだという「西洋コンプレックス」が背景にあると感じたためでもあります。
如何に女性の自由と権利に折り合っていけるか
こうして保守主義が女性の自由と権利の保障と相容れない考えとして排斥しようという力が左翼筋から「女性の自由と権利」という否定し難いテーマを引っ提げて展開されているところが非常に厄介なものと言えます。
あたしとしても、伝統という理由で特定多数の自由と権利を侵害するのは適当ではないとはしつつも、近年の左翼の女性に与えるべきものの解釈は憲法の人権の普遍性からも逸脱するものでもあるので批判的ではあるのですが…
(なんでもかんでも古いものを破壊すれば社会がよくなるということではないという認識には懐疑的ではあったからこそ、左派に位置しながら、小泉純一郎の構造改革路線に疑問を持ちえたのでもありますが。)
したがって、保守主義の再興を考えるには如何に保守が「新しいシステムに適応できない言い訳をするもの」「旧来のシステムこそが正しいと固執するもの」「男尊女卑的な思想(ミソジニーの温床)」などというイメージを払しょくする理論構築をしていくことが課題になってくると思います。