female #003
female #003
マキさん/50代/アニメーター
「職業柄、あまり自分の女性性や、自分が女性であるということを意識せずに来れたんです。それでもやっぱり、心の底に沈めた、抑圧された何かがあったのかな、と。」
「最近、夢を見たんです。」
マキさんが私に語ってくださった夢の内容は、とても興味深いものだった。
ショッピングモールの裏にある廃墟、そこに建つ娼街。娼婦たちと、彼女らを処分する処理人、処理を指示する権力者・マダム――。
“女性”という要素を強く持つ、ディストピアの世界だ。
「わたしの時代はまだ“女性”というと、一斉雇用で就職をして、OLさんになってお茶くみとかやって…ある程度の歳になったら結婚して寿退社みたいな、ステレオタイプな人生モデルをなぞるのが当たり前の時代でした。
アニメーターという仕事は、それに比べたら全く性差を感じずに済む仕事です。男性だろうが女性だろうが、能力があればそれでOK。やることは変わらないから」
今でも根強く残る、いわゆる「女性としての幸せ」という考え方や、職場における仕事内容の差。マキさんが就職したばかりのころは、その風潮はもっと強かったのだろう。そんなふうにハッキリと性差で区別された社会では、男性も女性も全く同じ仕事をする職場は珍しかったようだ。
「だから今まで自分が女性であるとか、女性性だとかに対して、あまり意識をしてこなかったんです。意識せずに済んできたというか。」
確かにマキさんからは、あまり“気負い”のようなものを感じない。「女性だからこうあらねば」とか、ここ数年で定着してしまった「女子力」などの言葉に潜む、自分をどちらかのカテゴリに振り分けて、求められる価値観の中に押し込めなくては、という“無理”がない。自分のあり方をすとんと認めているような、ナチュラルな空気を持った方だ。
「でも、」と教えてくださったのが、冒頭の夢の話だ。
「今までずっと、女性性なんて意識していないと思っていたけれど、こんな夢を見るってことはやっぱり何か、抑圧されたものや思うことがあったのかなと思って。」
その夢は明晰夢で、これが夢である、と自覚しながら、目を覚まそうと思っても起きることができなかったそうだ。教えていただいた夢のあらすじはこんな感じだ。
――娼街には男性客がいない。女性たちと処理人、マダムだけ。閉じ込められていた女たちは、マダムの指示によって処理人の手で次々惨殺されていく。隣接したショッピングモールに逃げても、客はなぜか女性のみ。そこに入り込む大勢の処理人。店員に男性の姿を見つけても、彼らは助けてくれない。逃げ惑う女性たち……そして、ついに処理人がマキさんに迫る。
そのとき、救世主が現れた!ナイフを弾いた女性型アーマロイドと、サイコガンをもったコブラ――アニメ「スペースコブラ」の主人公だ。
コブラとアーマロイドレディは処理人たちを次々に破砕していく。陰惨なスプラッタ・ホラーは、コブラの出現によってアクション物の世界に描き換えられ、一応の救いを得て夢は終わる。
マキさんはその夢をみたあと、ユング心理学や夢事典などで色々と調べてみたそう。
「廃墟は忘れてしまった過去。マダムは、自分が認めたくない影の私。女たちは私の中の“女性性(アニマ)”。どうやら私は、むかし自分の中の女性性を抹殺された、という解釈になるみたいです」
廃墟という世界に潜む“シャドウ(影)”の、今の心の世界への侵略。それに対抗すべく引き込まれた“コブラ&レディ”。
「コブラ&レディは、私が新たに自分に取り込んだ“男性性(アニムス)”。その武器“アニムスの剣”にあたるものがサイコガン。アニムスは、女性の中にもあるもので、若いときはそれを他人である実在の男性に投影して、その人と付き合ったり結婚したりするもの。でも中年期の女性に必要なのは、投影ではなくて〈自分の内面に存在するもの〉として明確に把握する必要があるということでした。」
この〈アニムスを自分に引き戻す作業〉は、全ての女性に必要なことらしい。
「女性型のアーマロイドとペアで現れたというところがポイントですよね。男性性のみではなくて、女性性を伴って現れた。しかも、人間じゃない。意味深です。これまで夢の中での武器といえば、ホウキやモップだったんです。戦っても折れてばっかり。今度のは“銃”。男性性の象徴そのものです」
サイコガンは、マキさんがシャドウと戦うために引き戻した“アニムス”なのだろうか。相手のマダムは何の象徴なのだろう。女性性?それだけではなさそうだ。知らないうちに、マキさんの“アニマ”を殺した何か。
自分が意識的に捉えている女性性と、無意識に沈む女性性の乖離。
マキさんのお話を聞いて、そういうことがあるのかもしれない、と考えた。
女性性は多様だ。自分にとって「受け入れやすい女性性」と「受け入れがたい女性性」が存在する――どうあがいても着られないガーリーな服のように。
それは自分の外部に存在する女性性だけではなく、内部世界にある女性性でさえ、受け入れがたいものがあるということかもしれない。それを葬り去るマダムは、誰の心にも存在するのではないだろうか。
「80代、90代の方って、性別みたいなものを超越してしまってる感じがある。それでもアイドルが好きだったりっていう、女性らしい部分も持ったまま。話を聞くとすごく面白いんです」とマキさん。
年配の方は、そういう葛藤を超えて、一段上のステージにあがっているのかもしれない。アニマもアニムスも取り込んで、受け入れたあと。それはアニマとアニムスの融合なのか、共存なのか。
自分の中に潜むシャドウ:マダムと、アニムスを引き戻しての対峙。
しなければならないだろうか。
勝てる気がしない。
2017年8月/マキさん/photo&text: アベアヤカ