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8/22 気づきは突然に
昨日、
素敵な時間を過ごした後、帰りの電車で
息子と参加した参加したアトリア主催の親子リトリートについて
感想を書いている「ワタシLOG」を目にした。
そこには、
その方が見た息子の姿が書かれており、
私の知らない息子の姿があった。
それを読んで、
込み上げる思いがあったので
すぐに「ワタシLOG」に書き留めた。
『彼の世界 〜夏の親子リトリート2024 藤野〜』
少し前から息子について「彼の世界」を感じていたが、先ほど@モッチー のLOGを読んで、本当に「"私の知らない"彼の世界」を感じた。そして、そこには私ではない信頼できる大人がいてくれたことが心から嬉しくて、目頭が熱くなった。
始まりはいつも私の背中に隠れ、やりたいことすら言えない弱い存在の息子、と私は捉えていて「守ってあげる」ことで、私がワタシを保っていたのだろう。
沢をどんどんのぼっていく姿、すでにゴールして橋の上から手を振る姿、たくましく感じながらどこか寂しさがあったのは本当のところ。私こそ過保護な保護者だ。子に守ってもらっている。
自分のしたいことを周りの人の気持ちなんかそっちのけでどんどん出してくる息子を見て、正直に思ったことは「迷惑かけてるよ」「嫌われるよ」
「付き合っていただいてありがとうございます」
アトリアでいう、
血のつながりがある親と子という枠を超えて、コミュニティ全体でこども達を見守りあうアトリアの親子リトリート。
を素敵と思いながら、私はまだ遠い。
少しずつ、彼に任せようと思う。
私が与えた範囲の世界ではなく、
彼が広げる自由な世界へ。
チクッと痛い気付き。
この場があったから気付けたし、言葉にできたと思います。みなさんありがとうございました🫶
たくさんの方にコメントをいただいて、
今朝は返信しながらさらに気づくことがあって、、、
自由について、枠について、繰り返し繰り返し問いかけられる。
自分を感じる夏休み、こんな私もいたんだね、いい夏だ。