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家族っていいよなー
今日、72歳の母から電話がかかってきた。
うちの家族は、付き合いが希薄だ。ちゃんと愛し合っていると確信できる絆はある。でも付き合い方は、どう考えても、「希薄」ということばがピッタリなのだ。
多分、母が情が深いけれど付き合いにこだわらないひとだからだと私は思っている。もしかすると、ズボラな自分を正当化するために、そう信じようとしているだけかもしれないけれど、母自身が結婚前はお正月を雪山が過ごしていたと本人から聞いたことがあるので、私の家族に対するズボラさは母譲りなのだろう。
そして、その母いわく、我が家も父の生前はちゃんとしていたらしい。父が行事ごとが好きだったから。その父が亡くなって17年。うちは5人兄弟なのだが、全員がそろうのは冠婚葬祭のみだ。まぁ、一番上の兄と四番目の妹がアメリカに住んでいることが大きな要因だと思われるのだけれど。
私が長女だ。家族のことはとても大事に思っている。実家から車で40分程度の、母の実家である古民家に住ませてもらっている。良く言えば、自由奔放、独立心全開、社交性抜群。正確に言うと、親知らず、軽薄、適当。もう1人の妹が母と一緒に住んでいることを言い訳に、その40分を車で向かうことは年数回。電話をかけることも年数回。それでも、母はなじることなく、嬉しそうに受け入れてくれる。母は本当に偉大。ありがとう、ごめんなさい、といつも思う。なのに、やっぱり家族孝行をするのはちょっと面倒くさくて、言い訳がましく、母もフォローしてくれているSNSの更新に精を出す。
そんな母が、今日、電話をくれた。そのとき、オンライン英語レッスン中だったので、生徒さんに謝って、一旦出て「ごめん、レッスン中、かけなおす」と一言告げる。そして、レッスン後に改めて電話をかけた。
あややけど、ごめんごめん。お母さん、元気?
あー、あやちゃん。あのねぇ、あのー2000円とかなんとかのやつ、やってるよね?インスタのやつね…。
あ、2022円な。うん、2022年の2回2022円キャンペーン、やってるやってる。お母さんやる?
ううん、お母さんじゃなくてねぇ、犬仲間のひとにね、いつもお世話になっているからさ、お返しにどうかなぁと思ってね。いいですいいです、って言われたけどね、まぁ、お母さんが受けてもいいし。どうしたらいい?
72歳の母は、私のインスタをフォローしてくれている。そして、昨日、久しぶりに挙げたキャンペーン投稿を見て、これをプレゼントにしたらいいかも!と閃いてくれたのだ。泣ける。
家族はいい。最高だ。受け入れ合って、けなし合って、許し合って、けちょんけちょんに言い合って、認め合える。一緒に過ごした時間が家族をつくるのだろう。
私の多くの友達は、今や結婚して十数年になる。最初の十年までが険しかったように感じる夫婦が少なくないけれど、近年、どの友達に会ってもイイ感じにしあわせそうに見える。結婚を落ち着かせるのは馴れ合いなのかもしれないけれど、やっぱり「家族」になるには馴れ合いも重要だと、独身の私は外野から考察する。
家族には、一緒に過ごした時間分の愛情が蓄積されている。それを、うちの母のように、ちゃんと見える化してこそ、崩壊しない強固な愛になるのだろう。やっぱり、母はすごい。
今日はそんなことを思った日だった。