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看護学生さんから、お手紙を頂きました

拙著「恋の水」を読んで頂いた数名の看護学生さんから、直筆のお手紙を頂きました。
これまでも、多くの方々から感想を頂いていて、たいへんにありがたく思っておりましたが、今回、看護学生さんからの感想を頂き、たいへん嬉しく、そしてありがたく、久々にブログを書こうと思いました。
(新作の草稿に時間をかけていて、ブログをすっかり忘れていました)

まず、「恋の水」を書くきっかけは、元臓器移植コーディネーターさんと話をしたことになります。
臓器移植については、ニュース報道や数々の著作を読んだり観たりして知っている程度だったので、話を聞き、実際の現場や仕事が、どういうものかを知ったときに、この小説のアイデアが生まれました。
この小説は、長い闘病生活の後で移植を受けて元気になったり、天才外科医が移植手術を成功させたり、レストア腎移植にまつわる疑惑を推理していったりするようなエンターテイメント性は全く入れず、普通の人が普段と変わらない生活をおくる中で、突然の事故によって家族が脳死と診断されたとき、またドナーになることを希望していたときに、どうなっていくのかを書いたものです。
エンターテイメントのドラマでは、あまり触れられないドナーですが、生体移植で無い限りはドナーは亡くなっていて、その人にもその家族にも人生があるのだから、それを書きたいと考えました。
生体移植でないのなら、移植で元気になる人がいれば、亡くなっている人がいるのが当たり前ですから…。
書くにあたって、ドナー家族の心の動きを書きたかったので一人称にし、誰にでも起こりえることだという想いから、登場人物に名前を付けず、固有名詞を実際にある神社の名称のみとしました。
またその神社は、縁結びと病気平癒のご利益があることもあって、本のタイトルにもさせて頂き、神主さんにも喜んで頂きました。
ただ、一人称なので、私の実体験と思われることが何回かありました。
フィクションです。

看護学生さんも移植についての勉強は、当然されるそうですが、ドナーやドナー家族について勉強される機会は無かったそうです。
(看護学校によってはあるかもしれません)
この小説では、元臓器移植コーディネーターへのインタビューをして、脳死状態から臓器移植の説明を受けるドナー家族の判断、そして脳死判定への流れを、可能な限り、リアルに文字にすることを心がけました。
そのため、本物のマニュアルを見せて貰い、脳死判定や臓器移植の同意書も本物を使って、実際にどう説明していくのかを再現して貰いました。
細かいことになりますが、脳死移植の説明をするときには、座席の配置にも気を配っているそうですし、脳死判定のときは床の振動にも気を遣うほど厳格にするそうです。
また、マスコミへの発表が必須だそうですが、ドナー家族の意向を汲んでくれるとのことで、その辺りも小説に織り込みました。
さらに、エンゼルケアにも家族が関われるそうですし、病室で音楽をかけることも然りです。
そして、医療費がかからなくなることも…。

私たち医療を全く知らない普通の人が、日々、命と向き合っている仕事という、仕事に対する高いプライドと責任感を持っている医師、看護師やコーディネーターといった医療従事者だからこそ、大切な家族の命や生き様を託すことができるというドナー家族の想い。
しかし当然、そこには理屈では無い人としての葛藤があることを、自分の身に置き換えて書きました。

以前、草稿の段階で読んで頂いた現役の看護師さんからも、移植医療については知らないことが多く、小説も面白いと感想を頂いたことがありまして、今回の看護学生さんもそうですが、どうも玄人ウケの小説っぽいですね…。
先述したように、エンターテイメントよりも、脳死移植の実際に重きを置いてリアルに書いていますから、どうしても書類や手続きなどが多くなるので、そうなるのは当然なんですが…(苦笑)

書いてから、「命を守るための医療なのですが、人を看取るのもやはり医療」だと、素人ながらに思いました。

今回の看護学生さんたちの感想に、ドナーやドナー家族について書いて頂いていたのと、人の命(人生)に関わる仕事を目指す強い意志とを読んで、本当にこの小説を書いて良かったと、改めて思いました。
個別に返信ができないので、失礼ながらここでお礼をさせて頂きます。
本当に、ありがとうございます。

また、別の看護学校の方から、お問い合わせも頂いていまして、本当にありがたいです。

医療従事者は、人の生死に関わるたいへんな仕事だと認識しています。
そんな方々に対して、素人である私が敬意を表することのできる方法の一つが、「恋の水」という小説でした。

これからも、よろしくお願いします

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