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お兄ちゃんは人気者やねぇ

母のひと言がなければ、このnoteに書いている色々な方との出会いがそもそもなかったかもしれない…

今日はそんなお話です

私は幼い頃、同じ年の子供と話が合わないと思っていました。
当然そのため、遊んでいても楽しいとは思えなかったのです。

一方で、大人や年上の子供との付き合いは別!

ご近所付き合いが当たり前の古き良き昭和の時代、
主婦である近所のおばちゃんたちは掃除を終え、洗濯物を取り込み、夕飯の仕込みを終えた頃、自転車でやってくる豆腐屋のおじさん待ちだったり、花に水やりをしたりするために家の前の通りに自然と集まってきます。

そうして井戸端会議が毎日始まっていました。

このおばちゃんたちの輪の中に入り、大人の会話に入ることがこれ以上ないくらいの楽しみで、喜びでした。

母がいなくても私一人で井戸端会議に参加する始末。

ある日「ツワリはしんどいらしい」ということを井戸端会議で学び、

「隣のおばちゃん、ツワリでしんどくてご飯食べられへんって。。」

と夕飯を食べている父に報告し「お前、その言葉をどこで…(滝汗)」

と動揺させる始末でした。

母はおそらく「このままではこの子は同じ年の子供社会で暮らしていけなくなる」と心配したんだと思います。

色々と同世代の友達と遊ばせるため、私をスイミング、習字、オルガン教室などの習い事に通わせ始めました。

学ぶことが大好きだったので、習い事自体は楽しかったのですが、そこにいる子供たちとは、習い事の時間が終わったらバイバイして、おしまい。

家に帰ったら、再び大人の中に入って話をしたがる私に「どうしたものか」と手を焼いていたはずです。

そんなある日のこと、
確か兄と母と3人でお風呂に入っていた時だと思います。

「お兄ちゃん、今日も野球してきたんやろ?ドロドロになってる。
明日も野球行くの?」と母

「明日は川でザリガニとるねん。バケツ出しといて」と兄。

そして何か閃いたのでしょう。

「明日もK君とH君が迎えに来てくれるのん?」
と続ける母に、

兄は「うん。Sちゃんも来る。みんなにカルピス出して」

と続けます。

一方、私が興味なく聞いていた時にその時はやってきました。

「お兄ちゃんは人気者やねぇ」

母は明らかに私を見つめてこう言ったんです。

「ね、枕ちゃん、お兄ちゃんは人気者やねぇ。
毎日いろんな友達が遊ぼう遊ぼうって誘いに来るもんねぇ。」


と満面の笑顔で。

そこで「ハッ!」となったわけです。

お兄ちゃんのところには、毎日、いろんな友達が「あそぼー」と誘いに来てるけど、確かに私のところには、誰も来ない。

(どうしてだっけ?)

そんな私をみて母はさらに言った。

「お母さん嬉しいわぁ」

メラリン。
私の中で負けず嫌いの火がついた瞬間でした。

私だって、お兄ちゃんみたいな人気モンになんてすぐになれる。
今までは、おばちゃんたちのお話が楽しくて、友達と遊ぶのがつまんないと思ってただけやし。

それから、
大好きな母の放ったひと言で、私の行動は大きく変わりました。

とにかく子供と遊ぶようになりました。

最初は、「やっぱりおもんない…」
自分も子供のくせに斜に構えた態度の私でしたが、

しかしながらやっぱり子供のことなので(笑)、
日々子供の遊びに触れてみると、それはそれで大変楽しく、
井戸端会議への参加熱は急速に冷めてゆきました。

以降は鬼ごっこやら、ブランコとかの公園の遊具やなどなど、外での遊びに夢中となり、夕飯時間になっても家に帰らず、迎えに来られて叱られるほどにまで大きく変わりました..(苦笑)

それにしても、

「○○ちゃんたちと遊びなさい。」
「お兄ちゃんみたいにどうしてお友達と遊ばないの??」

と言わなかったのは、さすが、我が母。

親であっても、人から一方的に命令されたら、意地になって「絶対やらない」という私の性格を本当によく見抜いていたと思います。

負けず嫌いのツボを絶妙に一度つついた母のひと言。

「お兄ちゃんは人気者やねぇ。お母さん嬉しいわぁ」

のおかげさまです。










子供時代に衝撃だった

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