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「パパが遺した物語」自転車のシーンから読み解く自分の可能性


こんにちは。

いきなりですが、みなさん

はじめて一人で自転車に乗れた時のことを覚えていますか?

🚴


自転車とは……言葉で説明します。

基本的に前後に二つの車輪があり乗り手の脚力によって駆動力を生み出し、うまくバランスを取りながら地上を走行する乗り物です。


少し難しく書きましたが、要は自分の力で漕ぎ自分でバランスをとり前に進んでいく乗り物ということです。



おそらく初めから一人で自転車に乗れた人はほとんどいないでしょう。


🚲

支えがなく、安定のしないものに自分一人で操縦する不安や恐怖心がはじめはあったかもしれません。

少しでもブレたらコケるかもしれない、ケガをしたり車とぶつかってしまうかもしれない。


そんな自転車ですが、みなさんはいつ・どのようにして乗れるようになりましたか?

もちろん習得しなければならない時期など決まってはいませんが、

大半の方々は、すごくすごく小さかった子供時代に練習し習得したのではないでしょうか。


お父さんやお母さんなど自分より大きな大人の人に自転車の後ろをそっと支えて押してもらいながら、

自分は必死に前を向き、こけないように真っ直ぐに進めるように願いながらグリップを握り漕いでいったのではないでしょうか。



ここからは少し映画の紹介を交えながらお話を進めていきます。

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上記の写真は、映画 ”パパが遺した物語”より。

”映画のあらすじ” 小説家の父デイビスとその娘ケイティの物語。事故により妻であり母であるパトリシアを亡くした二人は様々な困難に立ち向かいながらも二人三脚で人生を歩んでいく。
それから25年後、悲しい過去の経験から他人を愛せなくなってしまっていたケイティは、娘と自分について綴った父の遺作を敬愛する作家志望のキャメロンと恋に落ちる。キャメロンとの出会いをきっかけに、ケイティは自身の過去と向き合おうとする。


この記事を書くことになったきっかけにもなりますが、

個人的に、この映画の父と娘で練習する自転車のシーンが大好きです。

※自転車が主体となる映画ではありません。


映画では、生活に困窮し贅沢など中々出来ない二人ですが、なんとかケイティを元気付けたい、という父の想いでピンク色の自転車を娘にプレゼントしてあげます。


私もこの映画同様に、自転車の練習は父とした記憶があります。

信頼関係があるからこそ目に見えない自転車の後ろ側を任せ、

「お願いだから手を離さないで!そのまま押していて!」と前を向きながら叫んでいた記憶があります。

ふと自転車が軽くなったなと気づき後ろを振り向くと、とおに私の自転車から父の手は離れている。

あれほど不安だったのに、

それでも自分は漕げている!


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この経験を元にふと、人生を自転車に例えて語れるのではないか、と思いました。


私たちは、何か新しいことに挑戦する時、誰も助けてくれないことへ挑む時、心や体に痛みを伴うかもしれないことへ挑戦する時……、楽しみである一方、とても不安や恐怖が共にありストレスになると思います。


また、きっと沢山人生を生きていくと出来る力があるはずなのに、挑戦とリスクを天秤にかけてあきらめてしまうことがあると思います。


何事もはじめは誰かに助けてもらわないと心もとなく立ち止まり後ろを向きたくなります。


でも、時がたち気が付けば前向きに進もうとする自分がいて自分の足で立ち自分の足で進んでいけている。 



自転車のように自分の足でペダル”人生”を動かし自分の力で”バランス”をとっていく。そして顔も体も前を向きずーっと先に向かって走っていくのです。


私たちはみんな、

生きる上でもそんな力を持ち、それを発揮出来る力があると思っています。



そこには、

無邪気にただ自転車に乗れるようになりたい、乗れるようにならなきゃいけない、そんな一心で恐怖と向き合いながらも頑張っていた小さなころの自分と同様の自分がいるのではないでしょうか。


今では当たり前に乗っているかもしれませんが、意外と当たり前に出来ることではないのかもしれません。


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映画でも大人になった娘のケイティは、無邪気に父と自転車をこぎ共に明るい未来へ走ろうとしていた幼き自分を振り返り、壊れかけていた自分を一人の人間として必死に前に進めようと葛藤し続けます。

自転車は後ろ向きに走ることはないのです。


自転車で培った父娘の絆や温かな思い出は映画の中でも私自身の中でも温かなハートを描き進む勇気を与えてくれます。


今出来ていることは小さくても大きくても、自分たちが気づかぬうちに過去に努力し頑張った軌跡なのかもしれません!



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