2022/01/10
茶トラとサバトラの太った猫が一匹づつ、あの和布団の部屋で丸くなっている。硝子障子に囲まれたその部屋を屋外の道から覗き込んでいる。周りには子供が何人かいる。皆時代がかった服装で、昭和初期くらいのようである。
その部屋は、子供か、ごく一部の大人にしか見えないのだ。だからそこにいる猫も、私と、周りにいる子供たちにしか見えない。子供たちははしゃいでいて、その部屋と猫が見える私がいて嬉しいようである。
私は和紙に筆で、その部屋にあるものを書き出していく。
猫。水飲み用の鉢。猫たちはあの布団の上にいるのに、なぜか布団のことは書き出さなかった。ご飯を食べる用の鉢がない。無いものは、和紙の下辺の方に書き出す。
この部屋の隣には老人が住んでいたはずだ。近隣の大人達でざわめく路地で皆が会話している。誰もその部屋にいた老人の名前が思い出せない。そのうち、誰もいなかったんじゃ無いか、と誰かが言い出す。私は、私も名前が思い出せないことを不安に感じながらも、確かにそこに老人は住んでいた、と主張する。多分、死んだ人間のことは思い出せなくなり、それは名前からで、いずれそこに住んでいたと言う記憶も誰からも無くなるのでは無いか、と言う気がした。
ある陽気な男が、自分は覚えている。ほら、部屋の外で室外機が動いているじゃ無いか。人が住んでる証だ。名前だってわかる、と言う。皆半信半疑でいると、男は私たちの背後、歩く人々で混雑する路地の向こうを指差して、ほら、●●さんだ、と言う。見れば男の言葉通り、あの老人がこちらに向かって歩いてきている。私たちは慌てて、思い出せなかったその名前を叫び追いかける。老人は呼びかけに気づくと、なぜか人混みに紛れて逃げてしまう。捕まえなければ老人は本当に消えてしまう。
追いかけて捕まえて、名前を呼ばなければ。
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