認められたい、認められなくていい
もうかなり長い間、この2つの言葉が、心の中をグルグルしている。
仕事でのこと。
何をしても結果だけでプロセスは見てもらえなくて、
頑張ったねのコトバや、感謝の言葉もなくて、否定ばかり。小さなものでつづくと結構こたえる。
少しでいいから認めてほしい。認められたい。
ほんとにもう、「認められたい」が心の中に常駐して全然出ていかない。
「認められたい」ってどういうこと?
できる人と思われたい。有用な人と思われたい。役に立っていると思いたい。それって、生きた証を残したいってことなのかもしれない。
自分が死んだ後も、「器用な人ではなかったけど、いてくれて助かったよね、楽しかったね。救われたね、あたたかかったね」と。
そんな人の心の残るヒトになりたい。
「認められなくていい」が居座っているのは?
それはこのセリフのせいだ。
アニメ宇宙兄弟のピコが言っていた「人生は短いんだ。テンションの上がらねえことにパワーを使ってる場合じゃねぇ」
「認められる」ことに支配されて、エネルギーや時間を使うより、好きなこと、できること、たのしいことに主体的になっている方が、ずいぶん幸せなはず。その状態でいたほうが人の役に立てるのかもしれない。
「認められたい」は心の一角を支配し続け、簡単には出ていかないことは、わかっている。
「認められたい」と思っているんだね、と自分を認めてあげて、
ピコの言葉を思い出すようにしたい。