子育てと庭木の手入れは似ている
私にできるのは、ただ枝を切ることだけ
一昨年引っ越してきた戸建てには、猫の額ほどの庭がついている。
1, 2年目は勝手がわからず放置して、たまに植木屋さんにばっさり切ってもらうだけだった。
3年目に入って「これは伸び過ぎだな」「枝が混み合ってきたな」など気付けるようになり、在宅勤務の合間にハサミでぱちん、ぱちんと切っている。
植栽と一口に言っても、種類によって伸び方がまったく違う。
うちの庭には背が高いのならイロハモミジや月桂樹、金木犀、ソヨゴ、シラカシ、低いのはシャリンバイやツツジ、ツワブキ、ユキヤナギ、ラベンダー、アジサイ、ハマヒサカキなどがある。
上にまっすぐ伸びる月桂樹、横に広がるイロハモミジ、ゆっくり全方向に広がるツツジやハマヒサカキ、一方向にぐわーっと伸びるユキヤナギ、争うように葉を広げるツワブキ、本当にそれぞれ。
環境によっても違う。日当たりの悪いところにあると徒長(枝が間延び)してしまうし、伸びた先に別の植物があればその間を縫って伸びていく。上に伸びたいのに他の木がかぶさってしまっていたら、仕方なく横に伸びていく。
全体のバランスを見つつ、枝を切っていく。
道路の方に伸びてしまいそうなものは「こっちには伸びないでね」とぱちん。上に伸びたそうなのに他の木の枝に阻まれていたらそちらをぱちん。背の高い木は上に伸びてほしいので下の方の側枝をぱちん。
イロハモミジの主幹(一番太い幹)が枯れつつある。原因は去年の暑さか、カミキリムシか。横にびよーんと伸びている細い幹は元気。主幹がまっすぐ上に伸びてくれたらきれいなんだけど、おそらくそうはいかない。
こっちに伸びてよーと思っても、思い通りにすることはできない。
伸びるのは、植物自身の力。伸びる方向を決めるのも、植物自身。もっと言うと、それぞれの生まれ持った性質。
私にできるのは、ただ枝を切ることだけ。
子育ても同じだ
あ、これって子育ても同じだ、と思った。
伸びるのは本人の力。伸びる方向を決めるのは本人の意志と、生まれ持った性質。
周りができるのは、環境を整えること、間違いを正すことくらい。水は必要だが、やりすぎてもいけない。
上の空間を空けてやったからといって、そちらに伸びるとは限らない。横に伸びたいかもしれない。冬だから伸びないけど、春になったらぐんぐん伸びるかもしれない。5年だけ猛スピードで伸びるかもしれないし、50年ゆっくり伸び続けるかもしれない。
子育て歴はまだ4年もないけれど、32年生きてきて、人間ってまさにそうだなと思う。一人ひとりの中に先天的性質、後天的性質があって、それが環境と響き合いながら育っていく。
学生時代にどれだけ忙しくても常にリュックにどっさり分厚い本が入っていて意味わからん熱量で勉強し続けてる人とか、気づいたらみんなのおかんになっちゃってる人とか、可もなく不可もなくコツコツ着実に生きてる人とか。
よく考えたら、私だって大学卒業後2年で3回も転職して学生時代には毛ほども考えなかったエンジニアになってるし、傍目にはなかなかぶっ飛んでるのかもしれない。
本当に人それぞれ。
「ありのままでいいんだよ」なんて気休めではなく、結局それぞれに合った生き方しかできないんだと思う。そしてむしろそれが正しい。無理して違う型にはめようとすると、きっとどこかで壊れる。
いまは親として人の人生に伴走させてもらっている。
きっとこれからもいろいろなことがあるだろうけど、この人はどちらに伸びたいのだろう、と目を凝らすことを忘れないでいたい。