ひなげしあるいはポピー
そしてアマポーラ。
春先から初夏のさわやかな季節に、赤やオレンジ、白やピンク色で野を彩る可憐な小花の名前です。
そして世界的に有名なラテンポップソングの
曲名でもあります。
スペイン出身のホセ・ラカジェ(José María Lacalle García)が器楽曲として発表し、別の人がスペイン語で歌詞をつけ、イタリア、フランス、日本に渡った後に英語に翻訳されたようです。
古くは淡谷のり子さんや沢田研二さんがカバーしています。
淡谷のり子さんバージョンは昭和12年。
レコード。
2-3クラーベのラテンのリズムを取り入れたり本格的なアレンジがゆたかな曲。バンドが主体なのも昔っぽい。
歌詞はまったくのオリジナルで、アマポーラという花を擬人化したようなイメージ。アマポーラはけしの花だよと解説してるのも親切だなと思う。
それに対して沢田研二バージョンは、彼のブランディングを先行した世界観づくりがなされていました。
さわやかさ皆無なポエムなんだけど、ワルツに乗せているところで軽やかさを演出しているのでしょうね。オケの豪華さに時代を感じます。
さて、原曲につけられたスペイン語詞を忠実に翻訳するとこうなります。
登場する人物像がぜんぜん違いますね。
沢田研二バージョンが、汚れを知らない天使のような女性との叶わぬ恋に身悶える男性だとしたら、原曲のほうは、見た目は可憐ながら芯の太さを感じる女性に太陽を仰ぐがごとく憧れる男性という感じでしょうか。
これまでもいくつかラテンポップソングをうたってきてるけれど、日本語カバーを聴くたびに、どれもわりと切なく悲しい恋のうたにすり替わっているのがいつも謎です。
演歌の影響なのかな?
ちなみに英語詞もまたちょっと違う内容になってます。
ほめまくった挙句に、どうせ最後はぼくを愛してくれるよね?の圧倒的ポジティブ感がアメリカっぽいと感じるのはわたしの偏見かしら笑。
こうやって並べてみると、日本人は遠くから眺めて悩んでいるだけで、相手とコミュニケーションとってないね。ほんと違いが面白い。
この曲は、ライブに来てくださった方がわたしのイメージに合ってると紹介してくださって知りました。もちろんスペイン語バージョンですね。
いつも自分の琴線に触れたものを紹介するスタイルで選曲しているので、リクエスト曲をうたうのは慣れていません。曲とどう関係を結べばいいのか探り探りのところがあります。
しかしありがたいことに、リクエストをちょいちょい頂くようになったので、少しずつ練習をして披露していきたいな。
ちなみにこの曲は自分のなかの可憐さを愛でるようにうたうこととしました。
曲との接点を見つけて肉声に乗せること。どういう音が鳴ってるとその情緒や表現を表しやすいかイメージすること。
少しずつだけれど、新しいことを試しながらできることを増やしています。