因果関係ってなんだ?

ハローハローこんにちわ!

「因果関係」と「予測機能」に関して書くよと言って、はや1ヶ月。
皆様いかがお過ごしでしょうか?

前回の更新から1ヶ月経ったということは、
「結構面倒くさいテーマを設定したな」と後悔を始めてからも1ヶ月経ったということです。

しかし、毎月更新くらいのペースを逃すと完全に更新が止まるので、ちょっと頑張って更新しようと思います。

科学的な因果関係とは

近代科学の基本ルールは因果関係です。
何がどのように変化するのか、そこには変化の原因と結果が存在しているわけです。
変化をどういう風に説明するのかが科学であると言っても良いかもしれません。

ニュートンは運動方程式とかいうやつを生み出すことで、物体の運動・変化を数式によって記述することを可能としました。
これは近代科学の大きな転換点になっていることは、ニュートンのネームバリューでなんとなく知っている人は多いかなと思います。

しかし、逆にいえば、それまでは物体の正確な運動・変化は数式で記述できていなかったわけです。

それまでの科学において、「変化」の説明として主流だったのはアリストテレスの四原因論を基礎とする目的論です。

四原因論とはどんなものかといえば、物事を考えるときに考えるべき四つの要素です。

ざっくりと言ってしまえば、以下の四つの原因であらゆるものは存在しているというわけです。

質料因:何でできているのか?
形相因:どんな形をしているのか?
作用因:どうやって生み出されたのか?(スタート地点は?)
目的因:何のために生み出されたのか?(ゴールは?)

質料因と形相因はわかりやすいですね。
服の質料因は糸(ポリエステル100%)、形相因は長袖の上着型とかそんな感じです。

んじゃ作用因は?というと、中国の工場で機械が作った、とかです。

そして目的因は、売り物にするためとか、人に着てもらうため、とかになります。

つまり、わいの着てる服は、わいに着られるために作られたから、わいが着てるんやな……。

物の構造に関する原因を質料因と形相因で、
物の変化に関する原因を作用因と目的因で説明しようとしたんですね。

そして、そこから万物は最終的な目的を達成するために運動・変化をし続けるという目的論という考え方が発展していくことになります。

んじゃ、その究極的な最終目的とは……?となったときに、神様のご意志でな?とかになってしまうわけです。

ですが、アリストテレスの世界観はガリレオやらデカルトやらニュートンやらが、よりもっともらしい説明を発明したことで、神様のご意志じゃなくってちゃんと法則性あるわという感じになっていくわけですね。

そうなってくると、科学の主役は「原因が結果へと変化するのは、とある目的のためでな?」という感覚重視の目的論から、「とある運動方程式で説明できてな?」という法則性重視の因果論へと変化してしまうのもある種の必然というわけですね。

因果関係とはなんなのか?

さて、科学の世界では因果関係といえば、再現性のある出来事で、実際に存在している法則として考えられることが多いです。

一方で、人間はその科学的な因果関係が予測機能として脳にインプットされて生まれてきたのかといえば、
まぁあり得ないですよね?

それなら、アリストテレスは「モノを落下させるときは、重い方が落下速度速くなるやろjk」とか言わなかったでしょうし。

しかし、人間は因果関係を予測して行動をする生物です。

なぜ?といえば、普通に生物として生きるための機能です。
人間じゃなくても、まぁそうでしょうという感じではありますね。

例えば、パブロフの犬の実験では、
犬にメトロノームの音を聴かせた後に餌をあげるようにしていると、メトロノームの音を餌の合図として学習して、
その音を聴くだけで唾液が分泌されるようになるってやつは有名ですよね?

また、スキナー箱を使ったオペラント条件付けの実験では、
箱の中の動物が特定の行動をとった際に餌が出てくるように設定しておくと、
自発的にそういう行動を取るようになっていくってのも有名どころかなと思います。

人間も例外ではなく、何かと結果に対する原因を探って学習する性質があります。

そういった学習によって得られた経験則は、実際の自然界の法則とは異なることだってままありますよね。

例えば、4が絡むと不幸な出来事に見舞われる、テストでいい点が取れるとパンケーキがもらえる、とか。

あと、記事を書いたらお金がもらえるとかね!!

そういったジンクスや迷信じみた考えも人間の学習した法則の一部であることは間違い無いでしょう。

発生の順序から考えてみれば、
人の学習した法則、因果関係らしきもののうち、
再現可能であり、客観的に説明可能になったものだけが科学として扱われていると言っても良いかなと思います。

そうして考えてみると、科学……自然界にある変化や運動、因果関係というものは、
人間の認識した因果関係のうちの一部であり、言葉や数式によって説明できたものともみなせる訳ですね。

すると、人間の頭の中にある因果関係なるものに関しては、
因果関係認識フィルターが先に存在しており、自然界の因果関係を観察したとしてもその認識があるからそう見えるだけなのかもしれないとも考えられる訳です。

科学的な観点からだと、世界のルールである因果関係が先に存在しており、それを人間が認識しているのに対して、
人間中心の観点だと、人間の認識している因果関係が先に存在しており、世界にはそれが存在しているかのように感じられる、
という卵が先か鶏が先かみたいな話が出てくる訳ですね。

後者の主張をぶち立てて、コペルニクス的転回だと主張したのがカントという人です。

そんな感じで、カントの認識論と予測機能の話を中心に次回は書いていこうと思います。

それではまた!

アディオス=アミーゴ!!

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