形骸化と原点回帰
ハローハローこんにちわ!
2021年もとうとう終わり!
今年は44本の記事を書いたらしいという通知がきて、
まぁなかなか頑張ったなという気持ちでいっぱいです。
一方で、トートタロットの解説は2枚しか進んでねーや。
あと10枚を切ってるので来年はもうちょっと頑張るよ。
さて、最近読んだ記事で、建築史とWEBデザインの変遷に共通点が見られるって話がされていました。
面白い視点の比較ですよね。
今回は、なんでそんなことが起こるのというところが焦点です。
占いと建築とWEBデザイン
ところで、過去に僕の書いたnoteでも、ちょっとだけ関係のあることを書いてます。
占いに関していえば、
そういう感じで「新しい」とは何なのかってのを突き詰めていくと、
・なにを使って占うのか
・なにに関連づけて占うのか
・どんな方法で占うのか
この3つの視点に収束していきます。
これがどんな風にデザインの話に関連しているのかといえば、
「媒体」、「対象」、「方法」という抽象的な視点で、何が変化していくのかという部分ですね。
建築とWEBデザインの話では、
媒体=建材や文字、画像等の部品
対象=建物、Webページ
方法=整え方や装飾の仕方
という感じですかね?
建築やWebページの場合は、
「媒体」……新素材が出てこない限りはなかなか変更しにくい要素ですね。
「対象」……建物やWebページといった製作物、大前提は大して変更できなさそうですが、大カテゴリーの中にも多くの小カテゴリーが内包されています。
「手法」……無限に存在すると言っても過言ではないのかもしれません。
というわけで、変更しにくい「媒体」と、応用の幅のある「対象」、そして割と自由に変更の効く「方法」という感じでしょうか。
そうすると、
1、誰かが生み出した「方法」が洗練されてゆき(新石器)、
2、パターン化されて共有され(クラシック・ルネサンス・新古典)、
3、パターンがそれらが様々な「対象」に波及して細部にもこだわるようになり(ロマネスク)、
4、追加要素がどんどんと盛り込まれていく(ゴシック・バロック)
という具合で変化をし、最終的に限界を迎えると、要素の追加が無理になって「やっぱシンプルなのがいいよね」とか「追加要素ぶっ込んでくなかで新しいやり方思いついたわ」とか言って最初に戻るというサイクルを繰り返す傾向があります。
この辺は、どの分野も似たようなもんですね。
大いなる流れには大いなる視点が伴う
つまるところ、
発見の時代……新しい手法が生み出されて洗礼される
共有の時代……その手法の特徴が明確になる
定式化の時代……その特徴が言語化、体系化される
複合化の時代……様々な体系と結び付けられる
という大きなサイクルが形成されるわけですね。
さて、思い出してほしいのは、占いだってそういうサイクルの中で発展してきたということです。
こう言った大きな流れが存在することを理解しておけば、
新しい時代の先駆者になるのは難しくないのかもしれません。
要するに、
新しいものが流行ればシンプルにする。
シンプルになものが流行れば転用する。
あらゆるジャンルで見かけるようになったらゴテゴテにする。
ゴテゴテが流行れば新しいものを探す。
もっと簡素に言って仕舞えば、
「新しくてシンプル」(手法に注目する)と「ありきたりでゴテゴテ」(対象に注目する)は流行と逆張りをするだけで時代の先取りをできるのかなと思います。
ところで、占いもそう言ったサイクルに取り込まれているわけですが、
原始的で素朴な占いの時代、
シンプルに整った占いの時代、
形式化して形骸化した占いの時代、
複雑化の極みに達した占いの時代、
ありますよね。
古典を学ぶのは前提が必要
結局、パターン化していく過程で、なんのためにその手法が生み出されたのかというコンセプト・アイディアは忘れられてしまいます。
「手法」に焦点が当たった結果、「対象」を限定する必要もなくなるわけですしね。
国家を占う占いで、個人を占っても良くない?みたいな。
なんで国家を占うのにそれを使用したのか、と言った必然性は応用していく過程で薄れていくわけです。
古典的な手法を調べるときには、そういったコンセプト、時代や文化、環境といった必然性に目を向けると、面白い発見があるかもしれません。
それではまた!
2022年もよろしくお願いします!
アディオス=アミーゴ!!
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