サバの骨からあれやこれや

ある日のお昼休憩


お弁当のサバを食べながら
あれやこれやと思い出してた・・


わたしはサバのヒレ辺りの
細かい骨が密集している部分は
初めから手をつけない

なぜなら
その細かい骨にくっついてる身をとる手間と
食べられる魚の身の量が見合っていない


しかも
口に入れると小さい骨が残ってたりして
全然割に合わない


だからわたしは
苦労するとわかっているその部分は
もったいないけどはじめから食べない


そもそも子どものころは
魚が苦手だった


お腹が空いていて
早くご飯を食べたいのに
魚の骨を取るのがすごく大変だったから。

そして
このときばかりは
父に甘えていたことを思い出した

父親との関係がうすく
甘えた記憶がなかったけど、
あった。

いつも食卓に魚がでると
そのお皿を無言で父の前にスライドさせ

すると父は
「大人になったら自分で食べれるようにならんといけんよ。」と言いながらも魚の骨と身をきれいにとってくれて

わたしは山盛りになった魚の身だけを
ただパクパクと口にほおばるだけでよかった

まるでお姫様 笑


父に愛された記憶がないと
思っていたけど
ちゃんと可愛がられてた

よかったね


いつまでそうしてもらってたかな?


確か周りの同級生たちが
まだ父親と一緒にお風呂はいってるの!?
という話題で騒いでて


わたしはひそかに
「わたしはまだ魚の骨を父親にとってもらっている・・」
と思った記憶があるから


中学生頃までだったかな?


大人になってからは
魚も食べるようになった
サバはすき

骨が太くて取りやすいし
脂ののった焼き鯖とか美味しい!

でも恥ずかしながら
食べたあとはとても人の目に触れられたくはない

父のようにきれいに魚は食べられない


こんなことを
お昼にサバを食べながら思い出してた


わたしは
初めから割に合わない苦労しそうな事は
さけるし

魚はきれいに食べられない

父親に甘えた事がないと思ってたけど
しっかり甘えることが出来てた



自分の中の色んな感情がむくむくと起きはじめてきて
そしてお腹も満たっている状態だと
しあわせの記憶も引き出しやすくなるんだね


これまでは
暗い悲しい感情しか使ってなくて
うれしさ しあわせの感情を使っていなかったから
それまでの体験も思い出も
暗い悲しいものばかりが目に前に現れてた


でも
うれしさ しあわせの感情を感じると
実は自分の中にすでにある
うれしさ しあわせを引っ張り出してこれるんだ!!


愛されてないと思っているのなら
それはただ
愛の記憶の引き出しがしまってるだけ


親や家族じゃなくてもいい
友達とか近所の人とか先生
お店の人とか通りがかりの人に優しくしてもらったとか、
必ずあたたかい記憶がある


人生辛いことの方が圧倒的に多くて
それに押しつぶされそう

すると
あたたかい記憶も
それに押しつぶされそう


でも思い出す!
あたたかい方を


こんな言葉をよく聞く
“私たちは愛でできてる”
って。

わからなすぎてピンとこなくてキモくて
何なら宗教っぽいと思ってた


でも今ならなんとなく分かる
たぶん私たちは愛でできてる・・



世の中のいけてない人たちっていうのは
真ん中にある愛のまわりに
暗い悲しい想いとかをくっつけて
その人の愛がそれに押しつぶされてるんだと思う


そして
いけてる人たちっていうのは
真ん中の愛のまわりに
余計なものがくっついてなくて
愛が育って育って、もれでてる人たちなんだと思う


だからいけてない人たちの
暗い悲しい重いをどけてやって
そこに風を入れてあげると
愛がまたメラメラと燃え盛るんだと思う


そんなことを
サバを食べながら思ってた
ある日のお弁当時間のおはなしでした


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