感性の違いと関わり方、自分の軸。
行動と環境因子について考えた。
息子の号泣事件
数日前、2歳の妹の一番大事?だと思われていたユニコーンのぬいぐるみが行方不明になってしまった。
しかしそれを知って大号泣したのは4歳の兄。
ユニコーンの名前はリオトン。(命名は妹)
兄は、泣きながら、床に突っ伏しながら
息子「リオトンは、新しいママができちゃったのかな。新しいお友達がいるのかな・・・ペット(っていう映画)みたいに、ウサギちゃん可愛いねって拾われちゃうのかな。」
私「そうだねー。。。
でも一人で寂しいより、新しいママとか家族に出会えるのもいいんじゃないかな。(私は家族構成、が変わることを特別なことにしたくない派である。)
映画ミニオンの子どもたちもそうだったよね?パパとママと暮らせないから施設にいて、新しいパパ(映画の主人公)が来るでしょう?ママも最後はできるし。」
大号泣で話が聞けず。そのまま数十分泣き続けた。
優しいなぁ。。。4歳男子!(でも無くなったことが悲しかったのではなく、新しいお友達ができたかどうか?に泣いていた様子?で詳細は聞き取れなかった。)
それに引き換え。
2歳女子は「Nちゃんはねー。リオトンのママなんだよ。悲しいね。」
以上。めちゃめちゃ泣くかと思ったらかなりクールな対応。これは年齢差では表せないなにかだ、と思った。。。
(ちなみにぬいぐるみは、図書館で数日後見つかった。お騒がせしました。)
n=1の子育てだからこそ
同じように関わるもこう違うのは遺伝子のなせるものなのか?
私の関わり方なのか。(もし性差があるならば、女子はなんてあっさりとした対応なのか、笑。)
子育ては再現性がないと思うし(けれど、よくこの子育て方法がすごい!と書かれているし、それに引き込まれてしまうのだけれど)、n=1であるので比較しようがないのだが、、、面白いものである。
環境因子、例えばLGBTQのテーマだと。
さて、アメリカに来て、図書館によく行くのだが、そこではLGBTQの本なども特に区分けされることなく普通に並べてあることが多い。
この本も表紙の印象(文字は読んでいなかった)と、このページの言葉がいいなぁとおもって借りた。
すると実際にはLGBTの本だった、という感じだ。日本よりはやはり進んでいる感じがするし、素敵な環境だと思う。
(実際に最終ページに来るまで気づかなかったという。私の知識不足もある。)
息子が泣くのを、「男の子なのに泣かないよ。」と言われることがやはりある。それを私は性別で区別したくないし、その言葉をできるだけ言わないでいたいと思っている。
この本を読みながら、好きなことを感じ、好きなことをしっかり好きと言ってほしい。泣きたいときは泣いてほしい、と強く思った一日だった。
子どもたちに与えられる環境は全ては揃わなくても、感情と行動を制限はさせたくない。それは子どもだけではなく、大人も一緒だ。
ちょっとためらうこともあるかも知れない。(私もいつもは持てないので、コーチングなり友人に話を聞いてもらったり助けてもらってばっかりだ。)
でも、目の前に自由をと勇気を。私はおいておきたい。
自分へのメッセージとして。
(思い出させてくれる子どもたち、ありがとう。自分も思考/行動を自由にしたい。)