子どもが話を聞いてられなくて落ち込んだことと、「子どもジェンダー」の本を読んで救われた話
先週の土曜日、近くの中学校でやっている柔道クラブの体験に行った。
大人も子どももできるということで、一緒に行く友達も楽しそうに行ってるし、なんせ気楽に考えて前日に申し込んだ。
なぜ柔道にもうしこんだのか?
背景としては、私は中高柔道を(授業でだけど)6年やっており、実は初段黒帯ということで馴染みはあるし、事前に「大人の女性も練習にいるよー」との前情報もあって安心感があったからもある。
「運動不足解消に行くか−!私だけの習い事は現実問題としてできないけど、親子でできるなら一石二鳥じゃん〜」
と思って甘く見ていた。
暴れまくる子どもたちとともに…
私の子ども6歳Yと4歳N…大暴れ。
特に6歳男子Y。
もうひとりのママさんの5歳児B君は、
すごい真剣に話を聞いて柔道をやっている!のにも関わらず
あばれまくる&走りまくる。
「なにこれー、ママ。これね、○○くんがね!・・」
と今のこの柔道には全く関係ない(が彼にとっては重要であろうと思われる)話を続ける。
その後も、もうここには書ききれないぐらい、色々あって
最終的に
「これは小学校に入ってから、学校の先生は大変よなーーー」
と思ったのだ。これは確実に、夏休み前には
「発達障害の診断を受けにいって下さい」
て言われるコースだろう。(実際に教師の友人にそう言われたのだ。)
今、色んな理由があって、発達障害の診断に来月から病院に行く予定なのだけど、それで間に合うんだろうか。
病気なの?って聞かれた経験が何度も有る
この手の話をしたら「息子くんは症状からすると、アスペルガーなの?」と聞かれることがあるのだけれど、そうだろうなぁーそうおもうよねぇ。ADHDと、アスペ、DCDとかいっぱーーーい色んな疑い病名が有るよねえと思うのです、一医療者として。
でもね。
そう思えばそう思うほど、
なんでこの子はうちに来たんだろうとか、
どうして一人で抱えて頑張ってるんだろう、
東京のこのごみごみしたところで人と比べながら
人生を毎日重ねてるんだろうと思うわけで。
(これを一般的に訴えたいわけでも、誰かにわかってほしいというわけでもなく、ただただ自分の整理のために書き溜めている感じではある。)
家に帰ってから、子どもたちをみて、泣いてしまった。
半分悔しくって。そんな子どもたちに「でも今は静かにしてくれよ!」と心の底からおもって、
恥ずかしいやん、と思った自分に恥じて。
半分は、そんな子どもたちは我構わず、たくましく”楽しいことを楽しいと思って生きている”ことに泣いた。
このまま、小学校に行って大丈夫なのかな。
私はやっぱり仕事をせずにみないといけないのかな。
うちの両親も心配してたけど「学校でいじめられないかな」という良からぬ不安も来る。
なので夜、分解をして考え直してみた。
果たして、私は子どもたちにどうなってほしいと思っているのか?
ということを考え直した。
(実際にはここまで立ち直るのに48時間は経過しているw)
整理した再ゴール
①最終的なゴールを再度、整理し直したことと、
②「私が」主語を辞めたことだ。
最終的なゴールは、
・自分で歩み、こけても立ち上がれること。
・人に頼れること。
・そして頼る人を排除せず、出来る範囲で関わって欲しいこと。
・愛する人を大切にすること。
・そして自分を愛すること。
「一人で行きていけるように強くたくましくなりなさい」ではなく、
・息子には息子の楽しいがあって、それは人に合わせる必要性がないこと。
それを目標にし直した。
主語を変えたこと
そしてもう一つは
「私が」こうして欲しい、という主語を一度捨てたことだ。
きっかけは、帰ってきてから6歳息子が読んでいたのはこの「子どもジェンダー」のページだった。
「おにいちゃんなんだから、我慢しなさいっていわれる。なんでぼくばっかり?」というような内容のページ。
「Yはこんなふうに思う?僕ばっかり我慢してるって思う?」と聞くと
「ううん」
「いいにくくってもね、我慢しなくて良いんだよ」
「ううん、思わない!」とはっきり。
優しいなぁ・・・・。
こんなに優しくて、本が大好きで、恐竜が好きで、他に何を望んでるんだろうと。
他にも色んな話をした。
彼はちゃんと自分の思いを言葉にできる。
それでいいやん。そう改めて思えた。
あぁ--まとまらないんだけど、その時の気持ちをnoteに。
(この後は、小学校の就学時前検診に続く。また公開します!)
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