こじらせアラサー女のひとりごと~自己肯定感~
こんにちは、ドーナツ太郎です。
自己肯定感の有無は幼少期の影響が大きいというのは、言わずもがなですよね。
わたしも相当こじらせておりましたので、大学卒業間近まで「自分なんて価値のない人間」「誰からも愛されない」「誰にも評価してもらえない」「自分に自信がない」、こんなマイナスワードが年中脳内をぐるぐるもやもやしておりました。
正直なところ、どれだけその界隈の本を読んだり情報をむさぼっても、きっかけがないとそこから抜け出すのは難しいんじゃないかと個人的には思います。
自信ってなくちゃダメなの?
大学時代に履修していたなかで、当時いちばん好きだったのがその講義・その先生でした。
内容は発達心理学に拠っているので、過去の自分を振り返ったり、子どもの心理的な発達と家庭環境がテーマになったりしていました。
その時も同じような文脈の講義で、いつものように飄々と先生が言った言葉が、わたしの考え方を大きく変えました。
「よく「自分に自信がないんです」っていう人いるけど、自信ってなくちゃダメなものなんですかね」
ハッとした。
それまでの私は、自分の外見・内面から恋愛経験の少なさなど、あらゆるコンプレックスを抱えまくり、日々自分にいら立つ毎日を過ごしていました。
「どうしてこんなに醜いんだろう?なんで可愛く生まれなかったんだろう」
「わたしなんてデブでブスで何のとりえもない」
「どうせこんなネガティブ人間、何やってもムダよ」
「20歳にもなって一度も彼氏ができたことないなんて、人格に問題があるんじゃないか」
その劣等感で自分を責め続けていました。
だから「自信なんてものは、外見も恵まれていて内面も欠点がなくて、社交的で男女問わず仲良くできるいわゆる”陽向(ひなた)の人”しか持ってないもの」と思っていました。
自分に自信がないから思い切ったことはできなかったし、好きなものも胸を張って好きと言えなかったし、上手くいかないことは自分のせいにするふりをして、本当は恵まれていない自分がかわいそう、という殻に閉じこもっていました。
自信がないとだめなのか。
自信がなかったら、思い切ったことはできないでしょうか。
自信がなければ、好きなものを好きと言えないのでしょうか。
自信がないことはしてはいけない?答えはNoです。
それとこれとは話が別だったじゃないか!
自信があろうとなかろうとやりたいことはやってもいいし、好きなものを好きと言ってもいいんですよね。
その先の成功とか自分の思い描く理想にたどり着けない確率が高そうだと思うから「自信がない」という言葉を使うのでしょうけど。
どうやらわたしは無意識のうちに、勝手に自分で理想を描いて、目の前のアクションに制限をかけていたようでした。
それからのわたしは、自信の有無にかかわらず、着たい服を着たし、好きな人に好きと言えるようになったし、やってみたいことは臆せず手を挙げるようになりました。そうしたら友人が服を褒めてくれる。好きな人がありがとうと言ってくれる。新しい出会いが生まれる。これまで見えなかった世界が見えて、結果的に自分に自信がわいてきました。
だからもし、自己肯定感が低くて、「自分に自信を持ちたい」と思っている人がいたら、わたしも伝えてあげたい。
「自信ってなくちゃダメなんですか?」、と。
自信が持てないことが何かの行動の妨げになっているのであれば、自信がないとダメ、という枠を取り払ってみてほしいんです。
「できるかどうかわからない、できないかもしれない」=「やってはダメ」、ではないです。自信がなくたってやっていいなら、やりたいならやりたいことをやっていい。やってもないのに自信なんてつくわけないじゃないですか。やって上手くいけば、結果は後からついてくるから。自信も、自己肯定感も、自分が自分の意思でアクションを起こした先で、後からもらえるおまけみたいなものです。
わたしにとっては、恩師の言葉で稲妻に打たれたようにパラダイムシフトしたのですが、同じ言葉がいつも誰かの発想を転換させるかというとそうでもありません。
自信がなくて悩むあなたも、自己肯定感が低くて悩むあなたも、まだ巡り合えてないそのきっかけにいつか巡り合えますように。