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北海道の片田舎からニューヨークに飛んだ話 emotional ver.


プロフィール

北海道ニューヨーカー あやや🦄🗽
北海道出身。94年生まれ。
18年間、地方特有の閉鎖的で排他的な環境で育つが
馴染めず、高卒後一人北米へ渡る。
挫折を経験するもニューヨークの大学を卒業。
帰国後は英語教育系のスタートアップに2年半従事し、
2022年に独立を決意。

幼い頃のあだ名は「わやわや子」(北海道弁でヤバい中のヤバい奴)

このnoteを書いたきっかけ

今までは落ちこぼれ時代の自分や、弱い自分をさらけ出すのが怖かった。

でも、自分の経験を語ることで
誰かの励みになるかもしれない。

その誰かを少しでも救えたら。

そんな思いで執筆に至った。


ということで始めていこう。



馴染めなかった地元での生活

前提として、、、今は北海道も日本も大好きだ。

ただ、高校までは、周りにいる人を自分で選ぶことができなかった。


何もない地元。

閉鎖的な環境で、
一人海外への夢を描いていた私は
周りの人と価値観が合わず、馴染めなかった。


家でも学校でも理解者がおらず
居場所がない。
なんと愛犬にも嫌われる始末。


あえて詳しくは触れないが
今の今まで、28年間の中での一番辛かったのは
紛れもなく小中高時代だ。




誰にも認められなかった当時の自分は
勉強や習い事、という、
正しい方向で頑張れば、数値やコンテストで結果が出るもので
成果を残すしかなかった。

特に、ピアノはかなり力を入れたため、
中学でショパンのポロネーズを弾けるレベルだった。
(わかる人はわかる)

ちなみにだが、私の育った地域は決して裕福と言えるエリアではなかった。

私は、北海道一部地区ではかなり有名な
地元の荒れたヤンキー中学に進む。


そんな中、周りに流されず
ピアノも大好きな勉強も頑張り、
地元の準進学校に進学する。


ここで思わぬ展開。



落ちぶれた高校生活


燃え尽き症候群、、
というのだろうか。

初っ端から学年最下位を取ってしまった。

勉強ができ、好きだった自分はどこへ行ってしまったのか。
好きだった英語も評定は2。
留年ギリギリ。

高校1年生の時の先生は、
「あなたならできる、早慶上智を目指そう」
そう言ってくれた。

何もない落ちこぼれの自分にそんな言葉をかけてくれた。
その先生に影響をされ

「大学に行くなら、早慶東大しかない!」
最下位で落ちこぼれなのに、目標だけは高かった。

だが尊敬していたその先生は
別の学校へ行ってしまった。


2年目からの担任は、いわゆる昭和の人間だった。


私に向かって
「可愛いけどおバカなお前は結婚するしか道がない、じゃないとお先は真っ暗だ」
笑いながらそう言ってくる。

学年主任も、私を常に馬鹿にした態度を取ってくる。
何を言っても、
「お前には無理だ」
それしか言われない。

悔しかった。

幼い頃から祖母にも
「将来の夢はお嫁さんになることよ」
そう言われ続けてきた。

悔しい、けど何もない、ダメダメな自分。

幼少期から変わらず
家にも学校にも居場所がない。

生きている心地がしない。

変わりたい。



ふと幼少期を思い出す。


「世界をまたにかけた仕事をする」
「英語がペラペラな自分」
「国連職員になる」

そんな夢を描いていたじゃないか。


このままじゃだめだ。


今まで馬鹿にしてきた人を見返したい。
幼い頃からの夢を叶えたい。
このままこの閉鎖的な環境で死んでいくのは絶対に嫌だ。


もっと自分らしく生きたい。
自分を認めてくれる世界で生きたい。


落ちこぼれの決意


今のダメダメな自分を変えたい。

高卒の両親から生まれた私が、
何もないこのまちから出て海外の大学へ、、、

誰もできるなんて思っていなかった。
だから自分を信じるしかなかった。


絶対に。
海外の大学を卒業して
ダメダメな全ての自分を変えよう。


決意は固かった。

そこからは割愛するが、
親から猛反対を食らい、修羅場があったものの

なんとか北米に出ることができた。



最初はカナダの語学学校に進学した。

そこでも

英語学習での挫折
を経験するものの

なんとか
トップビジネススクールのある
ニューヨークの大学に進学した。


パーティ、インターン、学業、家事や料理も全てこなしつつ
卒業もなんとか4年間でできた。


あのときの達成感は未だに忘れられない。

画像はブルックリンのBarclays Centerで行われた卒業式。


帰国後は、東京のスタートアップに新卒入社をした。
本当に良い会社だった。



現在


結論言うと今は、
自分の思い描いていた世界に来ることができている。

キャリア面ではまだまだであるが
パーソナルな面でみると
周りの人は、皆理解者ばかり。

日本、世界のトップ層と出会い、仕事をし、友達でいる。

私がどんな決意をしても、応援してくれる人がいる。


辛いこともある。
けれど、思い切って海外に出て
日本に戻ってきて
会いたい人に出会うことができた。


中には、同じく北海道出身で成功している人も沢山おり
同じ環境にいた人が活躍している姿をみると
心を打つものがある。



教育と英語


それは間違いなく
自分の人生の選択肢を広げた。


落ちこぼれだった過去の自分。

そこから頑張り、英語力を準ネイティブレベルまで上げた。
勉強も頑張り、全米のトップ大学を、純ジャパとして卒業した。


地元に残っていたら出会えなかった人や世界を知ることができた。



これからは
「教育」、「英語」、「地方創生」
その他の領域でも
力になれることで
活動をしてきたい。

これからは
昔の自分のように

地方にいるが故に
選択肢が少ない人を
助ける番なんじゃないか。



北海道の片田舎からニューヨークに飛んだ話
Emotional ver.


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