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不覚にも涙が。

自分の会社のnoteに、これまで会社としてどんなことをしてきたのか、というHP用の文章を(やっと)書いたのだが、その途中で、やっぱりいろいろと心が揺さぶられたりしている。

特に、東日本大震災が起きてから現在までに私に起きていることは、とても濃く、そんなに短い文章で説明できるわけもないのだけれど、ツラツラと書くしかなく、途中で、あ、そうか、HPとか動画とかもリンクで貼っちゃえばいいんだ。と思いついたのが良かったのか良くなかったのか。

大日向小中学校を辞めてから、公にそのことについて書くことはしてこなかったし、今も書きたいわけではない。
でも、自分が歩んできた道のりを振り返り、いくつか残されている動画や写真を観た時に、鮮明に思い出される「あの時の想い」が、今の私を揺さぶってきた。

私は、今の自分を歩んでいるし、過去の自分に戻りたいとかすがりたいとかそういう感情が一切ない。
でも、過去の自分が持っていた情熱(あれは、確かに「情熱」だったんだと今なら思う)は、今の私を十分に励ましてくれた。

と同時に、動画を観たことで、学校づくりを通して佐久穂町で出会った地域の人たちや、保護者、子どもたちの笑顔や言葉が、あの頃の私の「幸せそのもの」だったことを思い出して、ぎゅぅぅぅっとなって涙が出た。

私は、確実に豊かで幸せだったし、大変だったことも含めて全部が、陳腐な言い方になるけど、宝物というか、お守りというか、そんなものだったんだな、と。あの頃は何度も何度もそんな風に思っていたのに、忘れていた自分がいた。

ああ、でも、これも想定外だったことなのだけれども、動画で佐久穂町の人たちの笑顔を見ながら、磐梯町の人たちの顔が思い浮かんで、それがちょっと嬉しかったというか、そんな気持ち、分かる人いるだろうか?笑

今の私も、少しずつだけどよそ者なりにちゃんと「ここに居る」ことができつつあるんじゃないか、って、ちょっとだけ思えたというのもある。

あ、でも、調子には乗っていません。本当に乗っていません。笑
まだまだです。
本当にまだまだなんだけど、今は私の話をしたいのではなくて、
磐梯町にも優しい笑顔の人たちがたくさんいるってことが言いたいだけで
「地域のひとたち」ってひとくくりにはできないからこそ、丁寧に知ってもらい、知ろうとして、少しずつ「共につくる」が実感できるようになりたい。そんな風に今私自身が思えていることが、もう幸せなんじゃないかって。

最近ちょっとだけ疲れていたので、疲れてなくて大丈夫だよ、って自分に言われた感じになりました。笑

わかりづらい文章だけど、備忘録的に。
書き残す、大事。


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