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歴史とわたしの狭間で

8/9

実家に帰るために早く起きる。地震の影響で電車が遅れ、バスを逃してしまい、お金を追加で払う羽目になった。バスもお盆の帰省ラッシュで遅れ、2時間ほど遅れて長野に着いた。道端の緑が濃くなっていて、夏が来たことを知る。家に着いたら、母と祖母が作ってくれたご飯を食べた。肉じゃがとなすと鶏肉の煮物、きゅうりの漬物、梨。おいしい。

新聞をぼんやり見ていたら、「平和を愛するあなたへ展」の告知が飛び込んでくる。終戦や原爆投下のことがSNSでも流れてきて、終戦の時期であることが頭の片隅にここ最近ずっとあり、今行かなければと思った。今年の夏は戦争のことを少しでもいいから考える時間にしたかった。地元に新しい本屋ができたと知り、昔は那覇にあったとホームページを見て知った。沖縄出身の友人の顔が思い浮かび、横浜に帰ったら彼女に絶対話そうと決める。

夕方、スーパーに母と買い物に行く。「スーパーに行くだけでほんとうに楽しいね」と彼女は言う。わたしたちの幸せはきっとこんなところにあるのだと思う。母とハグした時、パレスチナで亡くなった息子を抱き続ける父の姿が浮かんだ。夜はみんなで食べるご飯が美味しかった。カツオ、トマトとモッツァレラのサラダ、チョリソー、マッシュルームの炒めもの。

8/10

朝9時ごろにのんびり起きて、母が作ってくれた朝ごはんを食べる。ぼんやりと、わたしは家族ひとりひとりの語りを聞いたことが、わたしをすごく安心させていると気づく。わたしはあなたたちの語りを、生きていたことを、ちゃんと知っている。全ては分からないけれど、わたしが持つ記憶とあなたたちの語りをずっと大切にし続ける。

新しくできた本屋で、ずっと本を見ていた。選書がとても良く、ひとつひとつ手にとって見ていく。多くの本を買えなくても、こういう時間がすごく好きだ。この本屋がわたしが高校生の時にあったらどうだったかなと想いを巡らせる。震災体験を綴った「10年目の手記」を買った。その後はリビセンに行き、暑い店内でうちわをパタパタさせながら小物や雑貨を眺めた。

歩いて上諏訪駅まで向かい、「平和を愛するあなたへ展」をみる。ひとつの詩、言葉が目に留まる。それはすごくシンプルな言葉で、シンプルだからこそわたしの胸に真っ直ぐに響いてきた。わたしは書き手で、いつもどう書いたら伝わるか考えているけれど、本当に伝えたい言葉はどんな形でも、シンプルでも、きっと伝わるのだと体感した。言葉はみんなのもので、パワフルで、わたしはそれをずっと信じ続けたい。

「平和を守ってください。あなたのために、産まれてくる新しい命のために」

あまりにもまっすぐに胸に響いて、涙が溢れそうになるのを必死でこらえていた。わたしが泣くことに意味があるのか、でも、今は、きっとそこから始まるのだと声をかけてあげられるような気がした。

展示はそれぞれの表現が込められていて美しく、これを残していくことの価値を考える。主催者はみんな高齢の方で、戦争の時代を体験した、もしくは近い時代を生きた人たちだった。彼らにどうしても伝えたくて、どう書いたらいいか分からなかったけれど、「これからも伝え続けてください」と書いた。そしてわたしには何ができるだろうか。その後はサスナカに行き、喫茶店でこの日記を書いている。

地元に帰るということ、それはわたしにとってどんなことなのだろう。わたしが変化し続けるように、地元も変化し続けていき、わたしと地元の関わり方もまた変化していく。今はいろんな場所で芽が芽吹きそうな気配を感じている。わたしはいつかここで何かできるだろうか。ここでわたしにできることがあるだろうか。定住しなくても、ここはわたしが生まれ育った場所で、ずっと故郷であり続ける。人の営みが生まれ続けるこの場所でできること。

8/11

午前中に少し仕事をした後、祖父母と彼らが大好きな韓国料理屋へお昼ご飯を食べに行く。スンドゥブチゲを頼んだら、それがあまりにも美味しくて、「何これおいしすぎる!」と思わず叫んだら、韓国人の店長さんがにこにことした笑顔で現れ、嬉しそうに他の料理の説明もしてくれた。ノグリラーメンが韓国人にいちばん人気らしい。韓国料理を食べながら、韓国の歴史や文化のことを考える。こういう体験に導かれるようにしてわたしはきっといつか韓国に行くのだろう。歴史と個人的な出会いのこと。

帰りの車の中では少し祖父母の幼少期の頃の話を聞かせてもらった。彼らが子供だった頃は第二次世界大戦が終わった頃で、貧しく、差別されていたこと。それでも逞しく生きてきたこと。小さい頃から何気なくそばにいた祖父母。彼らはわたしが知り得ない人生の歴史を背負っている。

帰ってきて少しお昼寝をした後、夕方に原村の映画祭に行くために、たくさん食材を買い込んで、父と母と向かった。外でご飯を食べながら映画を見る。その日の上映映画は普段なら選ばないチョイスの「ゴジラ」だったが、いろいろなことを考えさせられる映画だった。思わず帰った後に「ゴジラ」が生まれた背景を調べる。「ゴジラ」という映画が戦後に生まれた背景にもいろいろなものがあって、わたしは普段大衆的な映画を遠ざけてしまう節があるのだけれど、なぜこんなにも映画が人気になったのか、どう生まれたのかには時代背景が必ず関わっていて、それを知るのは大事なことかもしれないと思ったりした。

8/12

朝から母とバラクラに行き、フィッシュアンドチップスとサマープディングを食べた。今年の夏休みは実家に帰ることにしてよかったと心から思った。母と過ごせることが心から嬉しく、バラクラの中で見た彼女の笑顔を忘れたくないと思った。今は今でしかなく、そのことがたまらなく覆い被さってくる。それでも、わたしは今を生きていて、この時をこれからも抱え続けるだろうと思った。ベンチに英語の言葉が付いていることに気づき、母と、「これはいいね」「こういう意味なんじゃない?」などど言い合いながら、ひとつひとつ読んでいく。

”I want to bloom in the places where it is difficult to sow. I want to bloom in the places where I hope true peace will come.”

「わたしは花が咲くことが難しい場所で咲きたい。
わたしは真の平和が訪れることを願う場所で咲きたい」

バラクラには、ペルシャ絨毯屋さんが来ていて、思わず引き寄せられる。異国の匂いと異国の紋様がわたしの心を掴む。ペルシャ人のおじちゃんは穏やかな空気を纏った人で、思わず話に聞き入ってしまう。ペルシャ絨毯の歴史と文化について説明してくれた。わたしは、「ペルシャの歴史や文化をあまり詳しくは知らなかったけれど、もっと知りたいと思ったし、いつかペルシャに行きたいです」と思わず伝える。気に入った柄の絨毯を一枚自分のために購入したら、おじちゃんが2枚無料で好きなの持っていっていいよと行ってくれて、また選び始めた。大きな絨毯を選んでいた親子連れの、小さな女の子も一緒に選んでくれた。

彼は私が横浜に住んでいることを伝えると店舗が鎌倉にあるらしく、「ここでバイトしませんか」と言われて名刺まで渡されてしまった。ペルシャ絨毯屋でバイトなんてきっと一生できないだろうから、ありかもしれないと半ば本気で思う自分が面白くて、ひとりで昂る何かを感じていた。
わたしは、特に理由もなく昔から異国や異文化に引き寄せられるのだけれどそれってなんでだろう。違うことってすごく面白くて、知りたい、体験したい、出会いたいという気持ちが衰えることはない。

そのあとは、温泉に入り、スーパーで買い物をして、早夕飯を食べ、バスの時間までずっとギターをひいていた。バスはお盆だからか、2時間くらい到着が遅れたけれど、新幹線と比べてこの遅さと自分にはどうにもできない感じがいいな、と思った。

8/13

昨日の夜は家に着いたのが深夜であまり寝れなかった。みのりに会うために吉祥寺に向かう。電車の中で「小山さんノート」を読んでいたが、心が引き摺り込まれて戻ってこれない。

みのりと歩いていて見つけた台湾料理屋さんに飛び込む。行こうとしていたところとは違うお店だったけれど、「あまりにも美味しそうでここにしよう!」と2人で意気投合して迷わず飛び込む感じがすごくいいなと思った。
出てくる料理がほぼ全部豆腐でできていて、とても美味しいけれどお腹に溜まる。「台湾の人はこれをぺろりだもんね、異文化体験だね」なんて話しながら、少しずつ心が今ここに戻ってくる。

みのりのお気に入りの絵本の古本屋さんへ向かう。お店にある全てが素敵で写真を撮りまくる。古本屋さんではポストカードと「アフリカのおくりもの」という、絵と言葉の本を買った。その後も吉祥寺の雑貨屋さんを2人で巡る。暑さなんて気にせず、汗をかきながら街を2人で歩いて写真を撮るのが本当に楽しかった。

みのりはわたしが知らない芸術やアート、文化に触れることができる場所にいつも連れてきてくれて、そういう時間をわたしは愛している。

そのあとは、喫茶店で家族と喪失について、みのりと話した。帰りに留学生に「生活が困窮しているので買ってくれたら嬉しいです」と書いたカードを見せられ呼び止められる。留学生の友人たちの顔が何人か頭に浮かび、思わず買う。友人と横浜駅で合流し、ワークショップのための紙を選んだ。休みでたくさんお金を使ったし、旅にも出るから節約しないと、と言うと彼女がスーパーで一緒に安い食材を選んでくれた。ひきわり納豆ともやし2袋、卵と食パンを買った。これで1週間持ちますように。

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