毎日を記そうと決めた日の記録
日記を毎日書くことにする。
毎日が消えていかないように、心身の状態にしっかり目を向けて毎日を生きていけるように。
今は疲れているから、この日記が私にとってどんな意味を持つのか、どうして書き始めることにしたのか、たくさんの背景があるから言葉にはできない。また言葉が浮かんできた日に書こうと思う。書き続ける中でそんな発見をしていけたらいい。こうやって日常の記録をすることは全然慣れていなくて、人生でほぼ初めてに等しい。
昨日今日はたくさん歩き、よく話し、よく食べた。屋外と室内の気温差に身体がやられ、胃腸の調子が悪すぎて夜はすぐ寝付けず、カフェインの取りすぎで吐き気がした。今私が置かれている場所を忘れるくらい生き生きとした気持ちになることもあれば、これからどうしていこうと漠然とした不安と無力感に襲われることもあった。鬱の最初の症状は、睡眠の質の低下、ご飯が食べられない、気分の浮き沈みの激しさだと教えてもらった。
アルプスご飯で身体の内側から癒されていくようなご飯をいただいた。こんなにこだわりが詰まっていて、ひとつひとつに手間がかけられていて、繊細なご飯を食べたのは初めてかもしれない。ご飯を食べることを通してなぜかいろんなものが浮かび、心が動いた。「誰かにケアされているような気持ちになるね」
栞日で彼女におすすめされた本を開く。ジェンダーやフェミニズムについて書かれた本で、もっと前に自身の経験について私はまだ語る言葉を持たないんだと実感した時、私は私の経験を語る言葉を持たなければならない、もっと言葉を読まなければならないと感じたことを思い出した。直感でこれは今の私に必要な本だと感じてその場で買った。
本屋さんへ向かい、またおすすめの本やポッドキャスト、ジャーナリスト、ユーチューバーまで教えてもらう。彼女は私にとって本当に「本のプロフェッショナル」なのだと実感。ぴったり当てはまる言葉が思いつかないけれど。それを聞いた彼女は笑っていた。お互いにおすすめの本、映画を紹介し合う。私のおすすめも興味を持って聞いてくれて、本当に言葉で表現できないくらい豊かな時間だった。そして読書会をやろうよ!という話になり、もっといろんな人と繋がることができて仲間ができていくワクワク感を存分に感じた。
銭湯に入った後に、夜道をおしゃべりしながら歩く。彼女が私にとってどんな存在なのかを、明確に言葉にできないけれど伝えた。彼女と話すと、ああ、また明日から生きていこう、私は私を生きていけるんだ、と心から感じることができる。私の傷を含めた全ての物語が大切に尊重されているのを感じる。私たちはこの社会の中でいろんな傷を抱えながら生きていて、その傷が癒やされる、という物語を描くために必死で道を探して歩いている。戦友のようにお互い1人の足でそこに立って、それぞれの物語を歩んでいる。それはすごく心強いことだよね。そしてそれをしていくためには言葉は私に必要なものだ。毎日の記録を残すということは、私にとってこの社会で闘いながら、もがきながら、語る言葉を持ちながら生きていくということでもある。日常と社会は密接していて、日常で感じるもやもやや違和感は必ず社会のこと。
心の奥のところ、深いところに残っているもの。
本を買いすぎて、鞄がすごく重い。肩が痛くて赤くなっていた。重い荷物を抱えて電車を降りると雨が降っていて、雨が降る中を傘をさして歩く。不思議と嫌な気分にはならなかった。帰る途中でジャーナリストの仕事をやってみたいなあとぼんやり思った。昔描いていた通りではないけれどきっとこれも私の道なのだろう。今の私がこうやって今を生きていること。
帰ってきてシャワーを浴びる。ふと、今なら書けるかもしれないという気分になり、言葉が頭に浮かんだ。お風呂を上がったら今日のことを書こう。明日少し調べ物をしようと思った時、こうやって1日1日が描かれるんだと思った。今までだったらきっと思考だけを書き出していたけれど、こうやって1日を記した時に私はやっと今日という1日がここにあるんだと感じた。明日はどんな1日になるか分からないけれど、またここに書ける。そう思えたらどんな1日でも誰かが見ていて、消えずにここにあるという証になるかもしれない。だからどんな1日でも決して無駄ではなく、消えることはない、と。
書いていたら、私はなんて宝物みたいな1日を過ごしたんだろうと思った。彼女に感謝の言葉を伝えるメッセージを送って、布団に入る。